台湾での1週間 English Here
南山国際高校 2年 K.A
12月22日、台湾へ行く為に学校の終業式が終わってから部活にも参加せず家に帰りました。まだ荷物を詰め終わっていなかったので、家に帰ってトランクの周りに荷物が散らかっているのを見てすごく憂鬱でした。もともと台湾に興味があったわけでもなく、初めてのホームステイも不安で、せっかくのクリスマスを日本で友達と過ごすこともできないので、ASEPの参加を決意したことを後悔していました。
そんな不安ばかりで始まった台湾での1週間の最初の思い出は、臭豆腐です。日本福祉大学の大学生と、影戸先生、南山国際の皆と西先生でホテルのレストランで昼食をとったのですが、その時に「台湾の名物」だという臭豆腐がテーブルに出されました。一口齧っただけで今まで食べたことのない味とにおいに圧倒され、それ以上食べることができませんでした。台湾でこの臭豆腐のような食生活が1週間続くかと思うと不安で仕方がありませんでした。
ホストファミリー
その日の夕方、ホストファミリーと初対面をはたしました。事前にあまり連絡をとっていなかったこともあり、会う前はどんな人たちなのか不安と緊張でいっぱいでした。しかし実際に会ってみるととても優しそうな子で安心しました。彼女の両親は英語を全く話すことができなかったので、最初はとても困ったけれど、彼女はとても英語を流暢に話せたので、たくさんのことを通訳してもらい、意思疎通も問題なくこなせました。
彼女の家は古くからある伝統的な家で、来年には政府に土地を移動するように言われているそうです。彼女は自分の家がとても小さく、給湯システムが時々問題を起こすことをとても申し訳なく思っているらしく、しきりに謝ってきました。案の定その日、シャワーのお湯が出ず大きな桶にためてあった分だけで済まさなければいけませんでした。それから彼女の家で過ごさなければいけない5日間を思うと不安で、日本に帰りたくなりました。
樹徳高校
次の日はホストスチューデントの子と樹徳高校に行きました。南山国際の制服を着て行ったら、スカートの短さやカーデガンなど、樹徳高校との制服との違いに驚かれ、たくさんの人からの驚きの視線を感じました。学校見学をし、日本語クラスと英語クラスでは自己紹介をしました。教室に入ると、私達を歓迎して黒板をデコレーションしてくれていたのがとても嬉しかったです。台湾の学校の人たちは皆フレンドリーで、一緒に過ごす時間が少なく、言葉は少ししか通じなかったけれど、バスケットボールをしたりして仲良くなりました。こんなに台湾の高校生と交流が持てるとは思わなかったのでとても楽しくて、印象に残っています。
学校は日本の高校とは大分違うものでした。生徒数の多さと学校の広さはもちろん、高校のうちから生徒が専攻したい分野を選べるシステムにとても驚きました。英語、日本語、フランス語などの語学の他に、美容、調理など特殊な分野も専攻でき、自分が本当にやりたいことを伸ばせるというシステムに感心しました。これなら、毎日より充実した学校生活を送れるのではないかと思いました。
プレゼンテーション
その日の午後、プレゼンテーションの準備を始めました。ASEPのメンバーとは、事前に日本でSkypeを通して連絡をとってはいましたが、初めて実際に顔を合わせました。初めての対面ということもあり、全員緊張しており、日本人と台湾人で分かれて座るなど今思うと全体的にぎくしゃくしていました。しかし話し合いを重ねていくにつれて、徐々に台湾側の生徒とも溶け込むことができ、プレゼンテーションの方向性も定まり安心しました。プレゼンの準備2日目ではプレゼンに関わること以外もなるべく英語を使うことを心がけていたら初日に台湾人と日本人とで分かれて座っていたのが嘘だったかのように、お互いに馴染み、冗談を交えながら話をすることもできるようになっていました。しかしプレゼン準備の方は、何をすればいいのかよく分からず手持ち無沙汰になってしまい、少数の子に任せてしまうことになりました。それではよくないと反省し、午後からはもっと自分から積極的に話し合いに参加するようにしました。
プレゼンの準備最終日、発表の練習を始めました。練習をすべきなのに、今度はお互い馴染みすぎて遊んでしまったりしました。午後にやっと全体で練習をしたら、さっきまで覚えていたはずの原稿が、先生二人を目の前にしただけで言うことが飛んでしまい、私を含め、みんななかなかスムーズにいきませんでした。そのため先生がそれぞれ授業や会議に出かけた後も、私達で自主的に練習をしました。それでも不安で、家に帰ってからも何回も何回も練習しました。
プレゼン当日、会場に着いたときから皆とても緊張していました。またメンバーの一人が体調不良によりプレゼンに参加できなくなったこともあり、不安でした。本番直前のリハーサルでもスムーズにいかず、なかなか自分の台詞を言えず落ち込む子や、私自身も頭が真っ白になってしまい、皆落ち込んでしまいました。しかし本番では、直前練習のおかげか、プレゼンはスムーズに進み、私達のベストを尽くすことができました。皆堂々と話せたし、大きなミスもなく、今日まで皆でがんばって来たかいがあり、達成感でいっぱいでした。プラチナ賞はとれなかったけれど、悔いはありません。
滞在最終日
日本に帰る日、ASEPのメンバーとホストスチューデントが学校があるにも関わらず空港まで見送りに来てくれました。最初、あんなに憂鬱で、不安で仕方なかった台湾での1週間だったはずなのに、台湾のみんなと別れるのが寂しくて、日本に帰りたくなくなっていました。1週間でこんなにみんなと仲良くなれるとは思っていなかったし、事務的な付き合いになるだろうと思っていたのに、こんなに笑い合えるなんて想像もしていませんでした。彼女達とはこれからもずっと仲良くしていきたいと思えるほどの時間を共に過ごしました。帰りの飛行機では、この日本人メンバーでまた絶対一緒に皆に会いに台湾へ行こうと約束したほどです。
今回このASEPに参加したことで、今後体験できないような貴重な経験をし、たくさんのことを学びました。また、中国語に興味を持つきっかけともなりました。この1週間はなかなか言葉にすることはできないほど、濃密で、一生忘れられない思い出となりました。ASEPに参加できて本当に良かったです。この素晴らしい機会を与えてくれた影戸先生、西先生に感謝です。また、常に私のことを第一に考えて行動しようとしてくれたホストファミリーや、プロジェクトを指導してくれた先生方にも感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
A.K
Nanzan Kokusai High School
On
December 22nd, I went back to my house straight from school to prepare for my
trip to Taiwan. Seeing my clothes were still lying on the floor of my room, I
felt gloomy and regretted that I decided to participate in ASEP.
The
first memory of my stay in Taiwan is stinky tofu. On the first day in Taiwan, I
had lunch with Professor Kageto, students from Nihon Fukushi
University, Mr.Nishi, and my friends from Nanzan Kokusai. We had stinky tofu, one of Taiwan’s
traditional foods. Stinky tofu is so different from tofu in Japan. I couldn’t
stand the smell of it that and barely could bite it. I thought that all foods
in Taiwan would be similar to stinky tofu and so I was depressed I wanted to go
back to Japan right away.
Homestay
The biggest thing that worried me was the
homestay. We only had a few e-mail exchanges before so I had no idea what kind
of person my host student was. I was so nervous. Also, I didn’t want to be
separated from my friends. Meeting with my host family, I found my host student
Jessica was so nice and kind that I didn’t feel nervous anymore. However, her
parents could not speak English at all. I had hard time communicating with
them, but Jessica helped me a lot to translating what I wanted to say. Jessica
was so good at speaking English, we could easily talk with each other. She
explained to me a lot of things about Taiwan so I learned a lot of things from
her. She took me many places and I liked everywhere she took me to.
Presentation
For
the presentation preparation, we all worked so hard. On the first day, both
Taiwanese and Japanese were quite little nervous meeting each other. We first
sat separately but as we continued to discuss the project, we became familiar
with each other so we could even joke together. There were times when I only
let a few students work on our project, because I had no idea what to do. After
I realized this, I tried my best to find what I should do.
On
the day of the presentation, we were all so nervous. Our team rehearsed our
presentation during lunch, but we couldn’t present it smoothly. Some of us
forgot what they should say so we all were in panic. We practiced over and over
before the presentation. On the actual presentation, we did our best. All
things went very well. We didn’t receive the platinum prize, but we were all so
happy. After the presentation, I felt so sad because we no longer had any
reason to stay in Taiwan.
Leaving Taiwan
On our
departure day, ASEP members and my host student came to the airport to see us
off. I never expected that I’d like the people in Taiwan so much. By the time I
left Taiwan, I loved Taiwan so much that I didn’t want to go back to Japan, I
wanted to stay in Taiwan forever. I thought a week in Taiwan would be so long
before I went, but actually it was too short. We decided to go back to Taiwan
to see them again next year.
I
had a great time in Taiwan that I will never forget as long as I live. I will
always appreciate Professor Kageto and Mr. Nishi, who gave me this excellent
opportunity to go and stay in Taiwan. I also am very appreciative to the
teachers who helped us to make our presentation better, and my host family who
always took care of me. I would like to say thank you so much to the all who
helped me have this unforgettable memory.