ASEP2009 現地レポート(2009/12/2412/29

                       内田洋行 市村信昭 (付記 現地レポート後記)

 

【12月24日(木) 関西空港から台北へ】

こんばんわ。市村です。

今年も夜な夜なこのメールを書く季節がやってまいりました。

 

関空発立命チーム同行で問題ない天気の中、無事台北に到着しました。入国手続きの際に程なく到着した影戸先生と西先に偶然お会いしました。

名古屋チームは忠烈祠、101見学をしてホテルへ。

立命チームは九フン(にんべんに分)へ。ここは「千と千尋」やベネチア映画祭でグランプリ受賞の「非情城市」のロケ地となったところで、かつては金鉱で栄えた山の上の斜面にできた街で、古い台湾の面影を色濃く残した基隆に近い場所です。平日にもかかわらず、地元の人を中心に日本人観光客を含めて、竹下通りに匹敵するくらいの人出でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後は台北市内に戻り、101ビルへ。ガイドさん曰く、こんなに天気の良い日はめったにない高層からの台北の俯瞰を満喫しました。

夕方の陽もくれかかり、常宿に近い行天宮と言う道教の由緒あるお寺を訪問。生徒さんたちはガイドさんから習った正式な参拝のあと、独特のおみくじを引いてこれからの運勢を占っていました。

ホテルへチェックイン後は恒例の士林夜市へくりだし。教員集合場所の石鍋屋がなくなっていてショック、ショック。「台北にきたら石鍋と台湾ビールを飲まないと」というお言葉で探しまくって見つけたこじんまりした家族経営の石鍋屋。狭いけれど美味しくて、しこたま台湾ビールを飲んで一人当たり300元強で、相変わらず安くて美味しい料理を満喫。

 

 

 

 

ホテルへはタクシーでと、乗り込むが初参加矢野氏に行き先交渉を任せる。

「ホテルの名刺を見せれば大丈夫。」

「えっ!名刺置いてきました。」

仕方ないので名刺を出そうとすると、矢野氏は何を思ったか、ホテルのカードキーを運転手に見せて、そこに書いてある「三信大飯店」の文字を指し示す。危機管理は合格。(でもまさかタクシーに部屋までつれて行って、と思われなかったかな?

 

そんなわけで「バーヨウコウ」台北支店の開店は11時。遅い開店にかかわらず上杉先生、林先生、西先生、藤本先生がご来店。ボスの影戸先生は若干お疲れ気味でもう就寝されているとのことで、ちょっぴり残念と一同思いつつ、

「やはり影戸先生が参加生徒たちに心構えを話さなければ」

「いかに影戸先生がASEPの中心としての影響力が大か」

などとお噂をしている正にそのときにご来店!

 

「ばーヨウコウ」は一層盛り上がる。

影戸先生曰く、

「きょうの228記念館の訪問は良かった。日本統治時代の年配の係員が寄ってきて、ここを尋ねる日本人はほとんど70歳以上の人。こんなに若い人に来てもらって本当にうれしい。」と影戸先生に話されたという。

 

国際交流ってなんだろうか。ASEPってなんだろうか。

訪問して歓迎を受けて、メインのプレゼンをこなして、ややもすると一方的に利用するだけでなく、相手の歴史の深層の一部に真摯に向かい合う事もまた、相手先を思いやり交流をする本質の一部ではないだろうか。

 

 

こうして、いつもとは逆の台北から、台湾の歴史から入ったASEP2009が始まりました。

 

明日は、名古屋チームは移動、立命チームは故宮博物院と228記念館を見学の後、高鉄新幹線でいよいよ高雄に乗り込みます。

今年は総勢91名の日本チームの教員の皆様と「バーヨウコウ」高雄本店でお会い出来ることを楽しみにしております。

 

少ない来客にも係わらず、既に関空より持ち込んだ例年人気の芋焼酎「薩摩氣」は早くも1本空いてしまうくらい飲んでしまった台北より、お休みなさい。

(「バーヨウコウ」マスターより)

 

 

 

 

 

 

【12月25日(金) 台北から高雄へ】

 

 

市村です。

いつもとは逆の日程での台北2日目で、名古屋グループも台北から、関西大引率グループは大阪からと夕刻には大部分の引率参加者が高雄に到着です。立命グループは午前中は故宮博物館、午後からは228記念館の見学を終え新幹線で高雄入りします。

故宮博物館は8時の開館ですが既に多くの中国本土の観光客と日本からのグループ旅行者、そして地元中学生の団体で入り口は大混雑です。膨大な収蔵品(約70万点)のごく一部の常設展示を駆け足で見学。ヒスイの白菜、肉石、象牙の工芸品、唐三彩の焼き物など要点を押さえながらガイドさんの案内で効率良く見てまわる。主に清朝時代の権力に物を言わせた信じがたい作品の連続、連続。

京のやんごとない上杉先生が少々おかんむり。聞けば、展示を見ていると後ろからお構いなしに割り込んだり、ぶつかりながら歩いてくる。そんな集団が多すぎると。

そう言われて見ると博物館にしては妙に騒々しい。落ち着いた雰囲気もない。観客のマナーが悪くなっているのは事実のようで、ほんの2、3年前にはストロボ発光しなければ撮れた写真も全館禁止。ガイドさん曰く、注意すると「どの立場で物を言っているのか。勝手に持ち出したものを写真にとって何処が悪い。返してくれ。」と逆切れされることがしばしばあるとのこと。

日本人観光客は団体はほとんどいなく、少人数のグループ旅行が多いのに気付く。日本人の海外旅行の仕方が変化しているようだ。

 

昼食を挟んで228記念館訪問。台湾の歴史を知る上で欠かせない事件であり今回はそのとき19才で10年間も投獄されていた方の日本語での解説付き。館の開設の由来から始まり展示のコーナー毎の丁寧な、熱のこもった解説が3時間あまり続く。

感心したのはその集中力で休憩もなく見学しつづけた立命の中高生。

228事件は所謂「本省人」と「外省人」の軋轢の中から生まれた悲劇であるが、自分とは何者なのか、教育を受けた「臣民としての日本人」なのか所詮「中国人」の民族なのか、というアイデンティティの蹉跌が生んだ悲劇である、という言葉が印象に残った。

歴史の中で壊されていくアイデンティティと育まれるアイデンティティが二面性を持ち得ることに気付かされた。

 

見学後のバスの車中、客家の家系で「本省人」のガイドさんが、「謝謝」は北京語ですから、「多謝」という台湾語を使いましょう、と脈絡もなく話し始める。一緒に228記念館を見学して、「本省人」のアイデンティティに火がついたのか。そういえば、館内の来館者の感想掲示板で目立ったのは、おそらく「台湾人」の「加油!台湾」と結ばれている文章が多かった事。

教育は人のアイデンティティの形成に大きく関与することに気付かされた、

大いなる3時間だった。

 

16時の満員の新幹線で一路高雄へ。1時間半という短い時間で見学の疲れでまどろむころには新幹線は左榮駅に無事到着。

改札では例によっての高雄高の歓迎団の歓迎を受ける。

中信に宿泊する立命チームとわかれて、駅からタクシーで直ぐの今回の宿舎であり、会場である「ガーデン・ビラ」に到着。フロントで池田先生と落ち合う。

 

夕食はダニエル先生を交えて、日福大グループと地元中華レストランへ。

回転テーブル一杯にこれでもかと言わんばかりに置かれる料理に一同おいしいを連発しながら恒例の台湾ビールの杯がすすむ。

 

噂通り「バーヨウコウ」は経営が始まって以来の超豪華なファミリールーム。

2部屋分以上のスペースにベットルームとは別にソファーやテーブルセットのあるラウンジを擁したまさに「バーヨウコウ」。これで来店の皆様へはベッドの上やベッドの間の狭い空間に座ることなく、ゆっくりと情報交換ができる豪華版。眼下には一面のガラス窓から「蓮池」が見渡せるリッチな借景。

そのせいか仕入れておいたビールも早々と底を尽き、慌てて追加の買出しに走る場面も。

 

 

 

今回新規ご来店は、夕陽丘学園の山本先生、福井県高校英語界が満を持して送りこまれた若狭高・三仙(さんぜん)先生、WYMにもご参加の渡辺先生。そして本日まで高雄入りで同宿の先生は皆ご来店いただき、今夜も2時近くまで盛り上がりました。

色々な事情と思いをそれぞれの学校事情の背景のうちに背負ってのご参加の先生がた、「やっぱりバーヨウコウに顔を出してよかった。」と帰り際におっしゃった先生の言葉が印象的でした。

「バーヨウコウ」はASEPでの皆様のアイデンティティの発見の拠り所となれば

開店する冥利につきます。

 

明日からはいよいよ現地校との活動が各々で本格化します。

私たち引率なしグループは明日からは影戸先生の計らいで、ダニエル先生のホストでの行事参加となります。

手始めの明日は「イングリッシュタウン」を併設した小学校見学から。影戸先生曰く、ここの部屋と同じものや、新幹線の車両を模した部屋などがありその中で英語でロールプレイをしながら学ぶ施設とのこと。興味津々です。

 

同部屋の矢野氏は慣れないヘルプ役をそつなくこなして、熟睡中ですので

彼の夢を邪魔せぬよう、本日はこのあたりで。

 

 

 

 

 

【12月26日(土) 高雄・イングリッシュビレッジ訪問】

 

市村です。

日付が変わっての報告です。3日目に入り公式行事が本格化してきました。

 

26日は影戸先生、吉田先生、五十嵐先生と義守大のダニエル先生のアレンジで「イングリッシュ・ビレッジ」併設校を訪問でスタート。

高雄市校外の鳳山小学校へ。

まずは創立112年を迎えた運動会への「来賓」として参加。いきなりステージ上の来賓席に案内される。高雄懸知事、鳳山市長、市議会議員など他来賓のVIPと挨拶。

しばらく児童の団体のダンスを見学したあと併設の「イングリッシュ・ビレッジ」へ。

「イングリッシュ・ビレッジ」とは実際の生活の中で活用実習が出来るような模擬の社会施設が部屋ごとに再現されていて、所謂英語でロールプレーイングをしながら学習していくという施設。一番分かりやすいのがキッザニアの小規模版で全て英語での活動ということか。

 

高雄地区で5校に併設されており、この鳳山小学校では地区の32校を対象に10人から15人ごと、各学期に1校1回の割合(年間で1校あたり3回)の活動。

その他に、季節にはキャンプ(合宿)も実施。

レストラン、コンビニ、病院、ホテル、新幹線などの模擬施設が作られている。

中ではお客と店員などの役割があり、模擬のお金で実際に買い物をしたりする。驚いたのは実際の座席数席をそのままに再現した新幹線のモデルもある。ホテルのフロントや部屋、旅行用のキャリーバックもあって「なりきり」へのこだわりは徹底している。

 

 

参加先生は担当の李先生に様々な質問をするが、李先生はよどみなくクリアーな英語でてきぱきと答えていく。李先生は地元外国語大学の出身で英語と外国語教育を専門に修め、2年間のインターン(教育実習)をへて担当となり2年目。

海外留学経験は全くなしなのに素晴らしい英語力に各先生方はまた驚く。

 

ネイティブ先生はUS,UK、オーストラリアなど4カ国出身の4名。当然この国別のチョイスは、なまりのある英語でも理解できる力を養えるようとの配慮がある。

また、に小学校の英語教員になるには当然英語の専攻は前提だが面接での口述試験と10分間の模擬授業の実施を経てインターンとなる。競争率は2、3倍とのこと。

 

「実際に児童は即一人で海外旅行、銀行預金、レストランでも注文などの経験をするとは思われないのになぜ実際のように英語で体験させるのか。」の質問に、

「このような実社会に近い状況で実社会の大人のように実習させると英語使用のモチベーションが格段にあがる。」とのこと。つまり、楽しんで英語を学ばせるというのが目的のひとつのようだ。

その他イングリッシュ・ビレッジの話を書けば、1日のレポートでは書ききれない内容になってしまう。

 

 

 

同地区のもう1校でビレッジを併設している蔡文小では、飛行機の座席まで再現された出国からの施設や、手錠も用意された警察署、郵便局、銀行まで。

 

ここで使う会話はあらかじめ各校の英語の時間でオリジナルテキストによって練習しておく。このテキストの作成アドバイスをしたダニエル先生の計らいでテキストをいただく。私には猫に小判なので商品企画の担当に送付予定。

子どもだから、ではなくその徹底振りにおどろいた。

 

 

 

 

 

 

午後からは近くの台南市に案内される。台湾の古都でオランダの支配を脱した地でもある。

午後から晴れ渡った青空の下、由緒ありげな木造のこじんまりした台南公会堂に案内される。折りしも、夕刻より開催される地元大学生中心のニ胡などの中国古典楽器で構成されたオーケストラのリハーサルを席に座って見学。

大河のたゆたうような楽器の音色が、開け放たれた横扉から吹いてくるさわやかな五月を思わせるような風に乗って、近くなり遠くなり身を包んで流れていく中で、一瞬自分が何処にいるのか忘れそうになってしまうくらい、もうこのままづっとここ台湾にいてもいいかなと思ってしまうくらい心地よかった。

 

 

 

 

公会堂の周りは池や野外ステージ、芝生が配置されたスペースになっていて、読書したり、ボール遊びをしたり、語らったり、人々が思い思いの時間をすごしている。

市の中心にこんなにゆっくりと流れる時間のある場所があるなんて、やはり台南は古都と呼ばれる所以があるのだなあ、と先生方と感想を交わしました。

 

本日の「バーヨウコウ」では影戸先生はちょっとお休みでしたが、久々のご参加の坂本先生がご来店いただき、吉田先生他皆さまと留学先の南アフリカの話をされていました。

近くにスーパーを見つけて仕入れは潤沢だと思ったのですが、あっという間にストックも心細くなり、あっという間に時間も過ぎて1時半。

どなたともなく明日に備えてお開きとなりました。

 

2004年に福東小学校で見学した小学校英語の授業。

そして今回「イングリッシュ・ビレッジ」。ここは(高雄は)何か確実につかんでいるなぁ、という思い。また新たな発見がありました。

 

 

【12月27日(日) 高雄・義守大、市内/郊外】

 

市村です。

またまた日付が変わってのレポートです。

 

各校が相手校との活動中心でのスケジュールは本日までで、いよいよ明日からは公式記者会見を皮切りに合同の公式行事が始まります。

 

大学先生グループは本日もダニエル先生の案内で郊外のもうひとつの「イングリッシュ・ビレッジ」訪問。訪問の前にダニエル先生が忘れ物を取りに義守大キャンパスにある2番目の自宅へ寄り道。2年前に義守大を訪問した際は曲がりくねった山道をえんえんのぼって開発中の広大な山中のキャンパスにつきましたが、今回は高雄市郊外から幅広の直線道路が開通していて一気にキャンパスへ。

建設中だった正門前の巨大なショッピングセンターも外観が整いはじめ、祖の後ろにはなんと、大きな観覧車も。唖然。

キャンパス内に造成されたテラスハウスの住宅は高級外車のオンパレードで主にリタイヤした医者や弁護士などがすんでいるとのこと。ダニエル先生はふもとの高雄市郊外の本宅以外にここに3棟の家を持っていて、普段は学生の下宿として貸し出しているとのこと。また唖然。

 

 

 

日福大・関大・義守大グループのプレゼン作成作業状況も見学。

お互いに温度差のある結論やプレゼン作成について、ネゴシエーションのぶつかり合いの真最中。吉田先生、影戸先生が適切なアドバイスを要領よく実施。

学生はせっかくあるホワイトボードなど使わず、話だけで説得しようとしている。

コンセプトマップを示したり、ホワトボードに双方のコンセプトをリスト化し相違を顕在化するなどの指導が入る。

 

学生は結構深刻に上手く進まない窮状を訴えていたようだが、両先生とも英語を使ったこのネゴシエーションによるプレゼン作成プロセスに導いているようで、

このような状況がありそれを克服することが、ある意味でのASEPの目的のひとつでもあるようだ。

 

今回訪問したイングリッシュビレッジは来年より高雄市と合併する郊外の旗山と言う町にあり創立110年の旗山小学校。日本時代そのままのレンガ校舎に上塗りをして残した一部の校舎をイングリッシュビレッジにしている。ここの特長は民族伝統博物館で自分達の伝統文化を英語で紹介するというミッションがある。

施設の程度の差はあるが昨日の2校と同様の飛行機や出入国カウンター、スーパーなどがある。すなわち、イングリッシュ・ビレッジは海外に行って英語を使いながら生活をする、という大きなストーリーになっているようだ。ここの学校はホテルではなくホームステイで、欧米の家庭が再現されていた。

この小学校には日本時代からの講堂があり、日曜日にも係わらず案内してくれた校長が私たちを招き入れた講堂の片隅に古めかしい金庫が置いてあった。

何と戦前に教育勅語と「ご真影」を収めていた金庫がそのまま残してあるではないか。中をあけると入り口を覆う小さい御簾の中からコピーされた教育勅語が出てきて、またびっくり。

近くにはやはり日本時代の市場や日本家屋とみられる一部もそのまま見受けられた。

 

 

 

 

 

午後からは、高雄市内の三民地区にある乾物市場へ案内される。

今日以降時間の余裕がなくなるので、各先生方は学校などへの手土産にとびっきり安いカラスミや台湾茶を入手。

 

 

 

 

 

夜は高雄高の黄校長主催の歓迎会に出かけた大学先生方とは別に、西先生の相手の樹徳家商のトニー先生の両親が経営している家庭料理のレストランへ林先生と矢野氏を加えて食べに行く。

場所はなんと高雄女子高の直ぐ隣。

トニー先生の出迎えでお勧めの客家の家庭料理を満喫。

高級な宴会料理にはない素朴ではあるがとても美味しい料理は新発見の連続。トニー先生曰く、「高雄生まれのぼくでさえまだ食べた事のない台湾料理のほうが圧倒的に多い。」

中華料理独特の八角に代表される香辛料の苦手な矢野氏が「おいしい」を連発して料理を食べているのをみて多少安心。

 

バーヨウコウは10時の開店で、昨年も訪問していただいた、あの阪神タイガースの通訳もしていて、神戸大・金沢大院留学経験の黄先生も一年ぶりに再会。

 

今日の先生がたの話題はもっぱらプレゼン協働作成の進行状況の情報共有で、想定された相手校とのコンフリクトの対応の内容が多く、いつになくアカデミックでした。

相変わらず本番直前の指導はたいへんなようだが、なぜか皆さんに余裕が感じられたのは10年以上の成果の蓄積があるからでしょうか。

きょうは1時30分に閉店して皆様明日よりの2日間に備えていらっしゃるようでした。

明日は6時30分起きなので、今日はこの辺で。

 

 

 

【12月28日(月) 高雄・樹徳家商高、義守インターナショナル高訪問】

 

日付が変わっての報告がつづいています。

市村です。

本日はお誘いで樹徳家商職業高へ西先生と訪問。

会議室での公式歓迎行事。西先生は挨拶の締めくくりに何年か前のWYMでのオープニングで歌った「言葉にならない」をアカペラで熱唱。

この学校は中華・イタリアなどの調理科や、デザイン、広告、理容・美容科などの本格的なプロフェッショナルを育成する総合選択高校。数々のコースのうち、美容室が通りに面していて一般のお客も利用できるようになっている。上級生や卒業生の指導のもとに実習に励む段取り。

 

 

 

 

程なくセントポールで公式記者会見が開催されるのでそちらへ移動。

昨年参加の懐かしい顔もみうけられる。

昼食を挟んで公式行事は市内観光だが、大学先生チームは義守大へと向かう。

大学の案内DVDを見た後は義守大併設のインターナショナル小中高を見学。2年前に訪問した時は中・高が認可申請中だったが、今回は授業見学を実施。バカロレアカリキュラムでプロジェクトベースの授業展開だが、おもしろかったのは国内大学への進学を前提とした科があること。この科は中国語中心で授業をするのもいたしかたないところか。「インターナショナル・スクール」と名のつく学校にしては台湾人の比率が高いのが気になった。

 

 

 

夕刻より公式教員パーティだったが、例年に比べて淡々とすすんで、いつのまにか解散となって、なんだか締まりのない行事となってしまった。

唯一、ASEPデビューの福井商業・渡辺先生が何年か前に今村先生が実行した、「チャイナドレスで印象ふかく」を実行。

記念写真撮影でひっぱりだこでした。これで渡辺先生は参加者に顔を売るよいチャンスとなった。

ただし、渡辺先生の着たチャイナドレスは相手校先生の知人の娘さんのものでもう着るチャンスがなくなったので「着るならあげる」というオーダメードのホンマモンで金糸がふんだんに使用された本格手縫いの高級品。

作戦は成功したでしょう。

 

 

あすはいよいよプレゼン発表の日です。会場がホテル内で便利なのですが、確定の行事情報が流れてこず、どうにかなるだろうと大きく構えるしかない。

 

米田先生も部屋に初参加で、 閉店間際に元三民のPTA会長宅に拉致された上杉先生がやっとの状態で転がり込んできた。

とりあえず本日は遅くなりすぎたのでこのへんで。

 

 

 

【12月29日(火) 高雄・協働プレゼン本番】

 

毎晩こんな時間に書いています。

市村です。

PCの時差調整をしていないので実際はマイナス1時間です。

 

今日はプレゼン本番の日。例年に比べてホテルに隣接したホールなので移動の手間と時間は省けました。朝早くから担当の明誠高(セントポール高)の生徒達は会場準備に入り、開会前には続々と参加校がバスでやってきます。

 

オープニングは昨日訪問した樹徳職業高の生徒によるダンシング。

例年のようにプレゼンがはじまりました。タイムキーピングや次発表校の案内などの運営は高校生がきびきびと実行しています。

それぞれのプレゼン自体はほとんどの生徒・学生がスクリプト原稿を見ずに自分自身の言葉で同年代の聴衆に訴えかけていきます。

 

 

 

台湾側のテーマの選び方と事前の先方の参加校の意識共有のあいまいさのせいに大きく起因しますが、本当に自分達の熱意を持って伝えたい結論=メッセージなのかと疑わざるを得ない内容でのプレゼンの傾向にすこしがっかりしました。

確か、2年前のこのレポートにも同じ事を書いた記憶がありますが、「肉を食べるのは環境に悪い」「割り箸は環境に悪い」、一体このことが事実なのか、既成概念を「疑う」ことの出来ない若者は「若者」なのか。したり顔で物分りの良いふりをもっとも嫌うのが「若者」なのではないのか。

自分を振り返ってみて老成した若者を見ることほどもどかしいことはありませんでした。

とはいいつつもプレゼン自体のスキルは確実に高水準のもので、この差の違和感にとまどっているうちに、あっという間に時間が過ぎていきました。

10年たってもまだまだ課題は見つかるものです。

 

 

 

高評の五十嵐先生も同じようなアドバイスをされていて、そう感じたのは私だけではないと多少安心しました。

結果発表は、WYMを参考にしてプラチナ賞と金賞の受賞区分ですが、校名が呼ばれて壇上で受賞される生徒・学生の歓喜の表情を見られたことが救いでした。

当然、先生方はそれぞれの立場でそれぞれの思いをもたれたようで、多年参加の先生はいわばディフェンディングチャンピオンの立場でのプレッシャーの中でのチャレンジにまた来年から向かう心境。初指導担当の若い先生は発表の詰りのミスの悔しさから来年のリベンジへの心構えの表情。

これがなければこのよう続かないはすです。

 

昼前にはプライベートで高雄に来られた福井商業の今村先生も来場され普段の仕事中(引率中)では見られないような生き生きとされた表情が印象に残りました。

同じころ、旅行メンバーにはあがっていた田嶋ご一家にも会う事ができました。田嶋先生ご自身は新幹線を乗り継いで夕刻にはホテルへとお着きになるご予定。

 

フェアウェルパーティ会場と同じ場所での席に座ったままでステージの生徒・学生達のパフォーマンス会場の雰囲気を最大限に盛り上げることは難しい事だと理解しました。

フェアウェルパーティはじめ公式食事会も全体的にもおとなしく淡々としていたのが本年だと感じました。

 

「バーヨウコウ」は本日もほぼ全員のご参加で2回もビールの買出し追加となりました。英語を教えることの難しさをアカデミックな話題として話し合いが盛んに行われました。

早朝の出発の学校もあるので順次部屋へと戻られて2時前には「来年また」という合言葉を交わしながら「ばーヨウコウ」は閉店しました。

 

では、またいつかどこかで。

「バーヨウコウ」

 

 

 

【ASEP現地レポート後記】

 

(現地レポートを書きはじめた訳)

 私がASEPに参加したのは2000年からで、01年と03年は参加できず、2009年で7回の参加を数えるまでになった。そのうち高雄滞在のホテルにインターネット回線のなかった05年を除いて04年から09年までの6回ほど現地レポートと称してASEPの中でその日に見聞きし感じたことを雑文にまとめてメーリングリストにあげるようになった。

 なぜ書きはじめたのか。

これには初期参加の頃に理由があった。

 当時はほとんどの教員・生徒・学生をふくめ皆がこのような海外での国際交流行事に参加するのが初めてでとにかく出発から高揚していた記憶がある。引率教員でもない私はとりあえず何がどう起こるのかを記録として写真に残す役目を請け負った。確かに多くの写真をとって参加した先生方と事後共有したが、記録者あるいは表現者としてその見聞き感じたことを映像に凝縮する力量はいかんせん、プロカメラマンに比すべくもない。そのもどかしい思いが帰国し年を越し、時間がたつほど大きくなっているのに気付いた。

 

 

 

 どうすれば残せるのか。 もし、次回の参加があるならば私は、より慣れた手段としての文字での表現に挑戦しようと思った。考えてみると、誰でも小学校低学年では絵日記、そして通常の日記、はたまた休みごとの読書感想文などおおよそ文章で記録する練習は学校教育のなかで綿々と鍛えられてきたはずだ。

ただし、その日見聞きしたことの記録だけではなく、それを通して「感じたこと、思ったこと」を書くように心がけた。 また、その記録のため、に特に学校見学に参加する場合は「メモ」を取ることを心がけた。ASEPに参加する際の私のバッグにはメモ帳が必須になった。

 こうして毎晩、先生がたがホテルの私の部屋を出られてから片付けとシャワーを済ませて、その日に撮った写真と記録したメモを見かえしながらその日のことをメールへと打ち込んでいくことが恒例となった。 当然、日中もその日の何をレポートにするのかという観点を持ちながらトピックへの触角をたてながら過ごすので、何回参加してもその都度新鮮な気づきがあるのは言うまでもない。

 30日の帰国の関空から帰りの「はるか」の中で上杉先生とASEPにまつわる色々な話をしながらふと、この現地レポートを書き続ける意味が何であるのかを一度考えてみようかと思った次第である。

 

 

 

(現地レポートに書ききれなかったこと)

 ASEPは生徒・学生の国際交流の活動、特に英語による協働プレゼンテーションの作成と発表が中心であるけれど、私にとって台湾でこの活動をすることについての意味を今回ほど意識させられた機会はなかったと思う。それは、初日に九份からキールン(基隆)を遥かに見たこと、228記念館を訪問したこと、台南周辺で例年になく日本時代の古い街や建物を見たことにある。

歴史について、色々な価値観と新しい解釈を体得した「現代」の私が、過去のこの時代の台湾の日本人についてあれこれと批評できるほどおこがましくはないと思っている。

 

(キールンあるいは基隆)

九份の街のはずれから、その標高の高い街であるが故に、広がった驟雨の雲の遥か向こうに雲の切れ間から日の差し込んだにキールン(基隆)の遠景が浮かんだときにふと思い出した。いまでこそ我々は関空からも、中部からもわずか3時間あまりでこの台湾の地を踏むことができるが、戦前に日本の領土として内地から新天地を求めて旅たった日本人は高級軍人や高級役人でないかぎり、このキールンへまず第一歩を記すことになったのだということを。 調べてみると、当時の定期航路は神戸を正午に出港し、途中門司に立ち寄ったのち3日後の午前11時にキールンに入港するほどの旅程であった。

少なくとも私の祖父母世代の日本人入植者はいかなる思いでこの船旅をすごしたのだろうか。そして、終戦後も北部台湾の日本人はほぼこの逆の船旅で今度は魚雷攻撃の恐怖と闘いながら、行ったときとおなじように身一つで帰って来た。

現在、それを経験した方々の言葉を聞くことは、インターネット検索の力をもってしても多くないことに気付いた。そうしてこの基隆(キールン)の遠景の写真を眺めるたびに、歴史とその中のそれぞれの時代に生まれた私を含む人々の心境に思いが行くのである。

 

 

 

(228記念館)

ASEP2005に参加した際に上杉先生から、生徒の事前学習としての台湾の歴史をまとめたプレゼン資料を見せていただいた記憶がある。台湾自体の今日に至る歴史を掻い摘んでみてもその経緯は非常に興味深いものがあると感じたことを覚えている。

いみじくも司馬遼太郎の「街道を行く・台湾紀行」は冒頭からの『国家とはなにか。というより、その起源論を頭に置きつつ台湾のことを考えたい。これほど魅力的な一典型はないのである。』という文章から始まる。

現地レポート中での訪問日の内容にも書いたが、歴史の中の悲劇としての事実はそうとして、228事件を通してアイデンティティーの形成とその中での教育の役割の重要性を強く感じた。

国際交流を始め、海外に出た際に特に「自分とは何か」、「日本人とは」を問いかける機会が多いことはこのASEPの歴史のなかでも生徒の感想レポートに垣間見ることができる。その意味で、多少おこがましいがパスカルの「人間は考える葦である。」という有名な言葉を、「自分は何であるか」、「日本人とは」という問いかけのアイデンティティーの追求が人間たる所以であり、このアイデンティティー形成期に個人に大きく影響を及ぼす「教育」の可能性を国際交流の教育における意義として、この228記念館を見学して意識せざるをえなかった。

上杉先生の報告書にあるように、228記念館の説明は「街道を行く・台湾紀行」に「老台北(ラオタイペイ」として登場する蔡焜殩氏の実弟・蔡焜霜氏であったという事もまた奇なる巡りあわせであった。

 

 

 

 

(台南市公会堂)

  台湾に関係した日本人は後藤新平をはじめ近年では八田与一や鳥居信平が有名であるが、キールンの項で書いたように、おおくの庶民の日本人が家族で平素の暮らしを彼の地でしていたのも忘れてはならない。ASEP2007かで高雄女子高を見学した際にご存じの資料室には日本人の通知表も当時の制服も展示されていた。また、時折、70近辺の日本の老女が卒業生だと言って学校を訪ねてくることはままあることであるという話も聞いた。

 確かに、庶民の暮らしがあったのである。

 今回は、高雄市の郊外に行く機会が多かったが、何かしら日本時代の建築物が残っているのを目にした。むしろ国内ではどんどん取り壊されている同時代の建築物に対していまだに補修等を重ね現役として利用されている建物が多いことに正直驚いた。

 特に台南市公会堂での体験は現地レポートの通りだが、あの時代の台南市に暮らしていた市井の庶民日本人たちもこういう体験をしたのだろうという思いを巡らせたとき、私の頭の中は間違いなくその時に行っていた。 あの時、当時の日々の暮らしの息遣いを確かに追体験したと今でも思っている。

    そういう名もない先人の台湾での生活があったからこそ、私が先生が生徒・学生がこうしてASEPに参加でき、色々な物を得ることができているのではないか。

 

協働プレゼンという主体目的は当然として、せっかくの機会をとらえてまた違った見方でASEPを眺めるのも意味があるかと思った次第である。

 

では、また、いつかどこかで。

(バー ヨウコウのマスターより)

 

以上