今年の発見 再びの出会いに

株式会社内田洋行 大久保 昇

 

 

短期間だけだが今年も参加できた。多くの初めての人達の中に顔を知った人が交る、それが嬉しい。不思議なことだが、たとえ短期間であっても二度目にお会いすると、その距離感は10倍近くなる。韓国やイアンドネシアからの一行に以前に見た顔を拝見し、声をかけ、その人の笑顔を見ると本当にそう思う。自分も同様に安心した笑顔を見せているのだろう。

初めての時と違うのである。また、その人のそばにいる人なら、初めての方でも安らぐ。こうして交流が進む。内心は緊張している周囲の人々もそれを見て安心し、心が和らぐ。知らない人を警戒するのは人の本能であり、また、そうさせないようにするのも人の知恵である。すべての国際交流がそうなのかもしれないが、ここに交流の基本がある。そして、それは活動を共にしたからこそできる安心感である。

今回はASEP本番の発表からの途中参加だった。全体の発表のあと、表彰の重責を終え、その後の立食パーテ、夜の高校生・大学生によるショーに移ったが、高雄に来たばかりなのに落ち着ける自分を感じて、交流の基本を本当に実感させられた。海外からの日本への留学生を30万人に増やそうとする政府の計画があるが、このあたりをしっかりと押さえたうえでないと意味がない。

 

 

 

 

 

 

教育局長室で

 

ASEP終了の翌日、高雄市教育局を影戸先生と尋ねる。局長室は、教育局長らしい装いの部屋の中に大きな机がある。机の後ろには、なんとスポーツタイプの自転車が壁に立てかけてあった。教育長は国立中山大学の教授職からの転任。前任の方もそうだとのこと。日本では、教育長室に自転車があることも、大学教授からの教育長もまずない。

訪問そのものは、日本側責任者である影戸先生から主催者代表に対する公式訪問ということで、次回までの計画や期待を話し合う場で穏やかに進み、来年のスポーツ大会にも関係しながら発展していく方向での話であったことを報告しておく。また、私としては下記のCTFプロジェクトメンバーの団長として高雄教育局の方が訪日された答礼でもあった。

 

三信高校で

 

 12月に来日、東京に来られて埼玉県のモデル校と内田洋行を視察していただいたメンバーは、マイクロソフトと連携して行われている台湾のClassroom of The Future(CTF)プロジェクトの参加者である。視察メンバーの多くが校長先生である中で、実戦部隊の教員も参加されたのがこの高雄市でCTFプロジェクトの実際の実験場である三信高校。

CTFプロジェクトに参加するクラスは学年それぞれが数クラスづつ。そのクラスは全員が一人一台でノートPCを持つ。教室の横の窓の下にノートPCがおかれ、授業での必要な時にPCを取り出して使う。

以前に視察したシンガポールでのCTFでは、タブレットPCをノートと教科書の代わりとして常時使っており印象深かったが、それには教科書も含め多くのコンテンツがデジタル化されている必要がある。しかし、高雄のこのような使い方であれば、コンテンツが揃っていない授業でも使え、現在のカリキュラムを大きく変えなくてすむ。日本では著作権の関係で、教科書を自由に取り込めるわけではないので、日本として参考にしやすいモデルである。

 

 

 

 

英語の授業も興味深い。拝見した授業では、グループごとにシナリオを練り、コンテンツをゲループが時間をかけて自主制作していくなかで、実戦的な英語力を身につけるレッスンプランである。

以前、初めて台湾を訪れたときに、英語劇による授業で、生徒がその役に成りきって演じているのに驚いたが、世界的に劇(PLAY)形式の学習が語学学習の標準的手法であることを知って、それも、あるいはこのようなワークショップ形式の授業がほとんどない日本の語学学習は、いったい何を目指していか、改めて考えさせられる。そのことを知るだけでも、海外を見る価値がある。

 

高雄女子高校で

 

 今まで何度も高雄女子の方とお会いしながら、建物の中に入ったのは今回が初めてである。時間の都合で授業は見ることができなかったが、数人の高校生と話せる時間をいただいた。台湾の大学受験競争の厳しさは日本以上である。台湾全土でも有数の進学校であるこの高雄女子において、語学とか国際交流に参加する高校生にはどのようなモチベーションがあるのか。内容は省略するが、それぞれ

の高校生が自分の能力とキャリアを磨くことにしっかりと目的意識を持っていることがすごく印象的であった。

 ところで、サロン形式のその部屋には、隅に数台のカメラ付きPCが置いてある。そこに、授業を終わってから集まる数人の高校生が、一人一人PCを覗き込みながらカメラに英語で話しかけている。僻地に住む少数民族の地区の小学校の英語教育の支援をしていたのである。紙芝居をやるように地域の昔話を英訳し、その英文を小学生に朗読していたのだ。

 

 

 

 

台湾では7年ほど前から小学校での英語が必修となった。当初5年生からだったものが、徐々に下の学年に降りてきている。ただ、都市部に比べて地方、特にへき地では、教員の研修も進まず、体制の格差が問題となっていた。エリート高校生がボランティアで支援している。ノーブレス・オブリージェと言えば、飛躍かもしれないが、何か、そのような風土が根付いていると感じる。これも日本であまり聞けないものである。もちろんこのような活動の参加歴が、大学の入学選考での加点要素になるという米国スタイルの選考要素があることもあるが、その点だけ見るのは矮小化であろう。

 

以上、散文で恐縮だが、6年ほど前から幾度かきているにも関わらず毎年発見があることに驚く私の感想である。アジアの高校生との交流に参加するなかで、日本の中にいては得ることができない視点の存在を感じさせていただく。

このような機会があるのは、WYM委員長影戸教授はじめ支えておられるメンバー方々の献身的な貢献があるからであり、改めて感謝申し上げる次第である。