「コミュニケーション」とは
立命館大学
ASEPでは、他国の学生や日本人学生、ホームステイ先の家族といった、さまざまな背景をもつ人たちと接する機会があった。その中で、何かを伝えようとするときは、伝達手段への注意や「伝えよう」という意欲を持つことを含め、相手の立場を配慮することがとても重要だと感じた。
何か伝えたいとき、情報機器を使っているのか直接あって対話しているのか等の手段を意識しておくことが必要だと思う。たとえば、ASEPでは、台湾の学生だけでなくマレーシアの学生も中国語を理解し、中国語で会話することが多かった。中国語が分からない日本やインドネシアからの学生は、やりきれない気持ちになることが何度かあった。受け入れ側の言語でつい話してしまうのは、私も以前アメリカから来た学生と日本で交流したときに気づき注意していたことだったが、今回ASEPで自分が受け入れられる側になってみて、このイライラを痛感し、今度自分が受け入れ側になったときにはもっと意識したいと思った。これが対面でなくメール交換などであれば、言語の違いにははっきり気づき注意できるだろう。が、メールならメールで、顔が見えないから、言葉遣いに注意したり簡潔にしたりという配慮が必要になる。よりよく伝えなごやかに話すためには、伝えるときの手段を意識することが大切だ。
また、伝えるときは「伝えよう」とする姿勢が必要だということをASEPで再確認した。たとえば、同じ形・内容で相手に伝えるにしても、相手にどれだけ伝えようと思うかで印象ががらりと変わる。実際、ASEPではいくつもプレゼンテーションを見たが、似たような内容でも、話し方やパワーポイント、音響の工夫・変化するだけでがらりと印象が変わり人を感激させたり退屈させたりする。どれだけ人に意見を伝えようとするかを考えていくと、同じ内容でもすばらしいものになり、より伝わりやすくなる。また、英語が通じない人にももちろん出会ったが、言語が分からなくても、筆談やジェスチャーを使ってなんとかわかってもらおうとすれば、伝わることもある。言語だけに頼るのではなく相手を理解しようとする姿勢もなくてはならないと思った。
上の二つのように、人に何かを伝えるときは、自分がどういう手段で相手に意見を言おうとしているかを意識すること、投げださず伝えようとする姿勢を持つことがとても大切だと思った。これはどちらも、相手にしっかり伝えるためのものだ。相手に伝えようとめざすことは、言い換えれば、相手の立場に立って考えること。伝えるというからにはそれを受け取る相手がいる。そのことを意識して、伝えるときに相手の立場を思いやって人と接して行くことが重要だ。私がASEPで一番学んだのはそれだ。
今回のASEPへの参加は、「コミュニケーション」という言葉の意味を問い直すきっかけになった。伝える手段に留意し伝えたいという意欲をもち、相手を思いやることが、何かを伝えるとき大切なことだと感じた。これは、国籍・言語を問わず、他人と接しよりよい関係づくりをしていく上で見過ごしてはならないことだと思う。今後はASEPでの体験を生かし、多くのひとたちと素敵な交流をしていきたい。