MY HOME
南山国際高等高校 2年
ASEPが終わって無事に名古屋について、私たちは日常の生活に戻って行った。そして私は今、学校にかよっている。つまらない先生の話を聞いているふりをして、ぼんやりと思う「プレゼンの準備がしたい」と。思ったより、重症のホームシックならぬ台湾シックだ。
今、私は高校2年生。ASEPへの参加は2回目。私はちっぽけで小さすぎて、何をするのにも迷ってつまずいて英語を話すことにすら恥を感じていた。だからプレゼンを台湾の子とやるといわれた時に、正直言ってすごく嫌だった。不安だった。だからメッセンジャーにもなかなかサインインできず、気がついたらなんの交流もないまま当日になっていた。これは当日気まずいだろうなあ…とかとまだ出発すらしていないのに私の心は曇っていった。と、同時に空模様も最悪だった。結局、空港で12時間まつという稀に見る経験をして心の準備もないまま、高雄女中にほうりこまれた。
先生もいないしほかの日本人もいない。薫さんと二人で、ああもう帰りたいなあ…と小心者の私は感じていた。そんな最悪なオープニングでむかえた今回のこの旅で私が思ったのは、おどろくほど自分の感情が動いて
いたということだった。そしてその感情にはすべて人が関係してるということだった。あらためて、人の大切さを痛いくらいに感じた。ここまで何かをするのに不安で胃が痛くなったり、足が震えたり、手が冷たくなったりしたこともなかった。でも、そんな時も私が事前にいやがって交流をしなかった、プレゼンを一緒にやる仲間が、ガッツポーズをして「ガンバレ」と日本語で励ましてくれた。みんなで肩をくみ「がんばるぞー!」って声をかけあった。だから私は笑えた。プレゼン中も足がすくむことも、恐縮することもなくまっすぐ前をみることができた。嬉しかった。何かを成し遂げたときにこんなにも叫びたい気持ちになるのは、やっぱり仲間がいたからだと思う。団体行動や大人数でいることが嫌いな私が、仲間を大切と思えたこの気持ちは宝物だ。思えば、今回の旅、かならず誰かが私の隣にいてくれていたような気がする。だから私は、ずっとずっと笑っていた。ばかみたいに。ただ幸せだと感じた。理屈じゃなくて理由もないけど、ただ誰かと一緒にいるのが幸せだと感じた。話しかけてくれて、一緒に笑ってくれて、この私という限られている時間の中で一緒にいれたこと、この気持ちを共有できたことだけで、私がずっと笑っていられるには十分な理由だった。
だから私は、笑ってバイバイと言った。必死に顔の歪むのをこらえて去年は泣きながらのバイバイだったから自分に言い聞かせた
。
笑ってサヨナラしようぜ!楽しかったならいいじゃないか!と。結局別れたすぐあとに、ボロボロに泣いていた自分がいた。でもそんな時だって自分のよこには誰かがいてくれた。人間が横にいてくれたから、私はこんなにも泣けるのだと思う。人の感情を一番揺さぶるのは、人だと知った。
その後、ホテルの部屋で私と薫さんは大泣きした。理由もわからないまま涙がぽろぽろでてきた。ただ哀しかった。
また日常にもどって忙しくなって、この気持ちを忘れていく自分が。目が腫れるまで泣いた。この気持ちも、
いつかはなくなってしまうのかと、寂しくなった。また、泣けた。でも、泣けるということは幸せなことだと思った。
いつか泣くことは、恥ずかしいことに変わってしまうから。この涙も、この気持ちも、会いたい。寂しい。と泣く自分も、尊いものだと、感じた。
この旅で私のなにが変わったか、なんてわからない。英語力があがったわけでもないし、相変わらず英語は苦手だけど、つまらない恥はもっているけど、まだいろいろと迷うけど、ただひとつ言えることは、自分が広大ななにかの一部になれたということだ。両手を広げてもつかめない大きな大きななにかの一部に。それは、私にとってなにより大きな意味をもつ。そうして私はまたほんのちょっとだけ、大きくなった。
ホストが言った。「来年もこの家に帰ってきなさい」帰るべき場所があって、家があって、待っててくれる人がいる。なんて幸せなことだろう。ドアをあけて、そして「ただいま」と言おう。