12. 英語は学ぶものではなく使う物、その舞台がASEP
南山国際高等学校 教員 西 亮
12.1 英語ができない。くやしい。
私は英語の教員ではない。中学、高校で少なくとも6年間英語を学んできたのに、読むことはできても、聞いたり、思いのままに話したりすることができない。正直、くやしい。ASEPに関わることがなければそのような気持ちを味わうこともなかっただろう。
12.2 否が応でも英語
2005年ASEPでは例年と違って、すべてのプレゼンテーションが複数国の混成チームで行われた。しかも本校が所属するのは台湾、インドネシア、マレーシア、日本の4カ国からなるグループ。生徒の英語力はもちろん、それをサポートする教員のコミュニケーション能力が重要である。台湾のコーディネーターSylvia先生は国際交流のエキスパートだ。しかし同じ時期にいくつかの活動を抱えてお忙しい様子だった。私は否が応でもグループの調整をしなければならない立場となった。やるしかない。メール、メーリングリスト、音声とチャットを利用したオンラインミーティング(skypeやjoinnetを活用)とあらゆる手段を利用して4カ国間の調整を行った。
sylvia先生との1対1のオンラインミーティングでは、まさしく、必死に、相手の言おうとすることを聞き取ろうとした。聞けなかった部分は、言い直してもらう、簡単な単語で表現してもらう、チャットで書いてもらうなどして意思疎通をはかった。4カ国の生徒によるオンラインミーティングでは、事前にいくつかの提案をネット上で閲覧できるようにしておき、それについて意見交換した。3名以上の同時会話は困難であるため、台湾のリーダーが議長となり、提案に対して各国が何か答えなければいけない場合、チャットを有効に活用し、それぞれの国の考えを確認した。私にとってオンラインミーティングは初めての体験であった。英語が苦手でも何とかなる。試練の場が喜びの場に変わった。
12.3 覚悟を決めてやるしかない。
理科、社会、商業科の先生が当たり前のように他国の先生と英語で教育を語り合う。英語の先生は相手の立場も考えながら海外と難しい交渉をしていく。メーリングリストに流れる交渉の過程が生きた英語の教材となる。台湾の高校でインテリアデザインを教える友人がいる。数年前まで全く英語を話せなかった彼が、今回は英語で普通に声をかけてくれた。飛行機の中では影戸先生が最新のMP3プレイヤーとラジオ英会話テキストを使って英語の勉強中。生徒にとっても私にとっても「かっこいい大人たち」がここにいる。
覚悟を決めて英語を勉強するしかない。帰国後、MP3プレイヤーと英会話のCDを購入した私は、正月も暇さえあれば英語を聴いていた。いつか話せるようになりたい。いっそのこと英語の教員免許も取得してしまおうかなどと野望をいだきながら、私は2006年を迎えた。