ASEP2010現地レポート・総集編

市村信昭 WYMASEP実行委員、企業ボランティア(内田洋行)nob@uchida.co.jp

 

 

 

00【ASEP2010現地レポート(国内編まえがき・−3日目)】

ASEP-MLのみなさま

お世話になります。内田洋行の市村です。

 

昨年のASEP09が終了したあと、「現地レポート」を毎年書かせてもらっていた分を

まとめてみることにしました。本格的に書き始めた04年から昨年の09年までの6年間のASEPレポートはワードの写真入り文章で50ページ近くの内容となりました。

(特に公表はしておりませんのでご希望の方があればお知らせください。PDFでお送りします)

今年は少し趣を変えて出発前の国内からまえがきという形でスタートしてみることにしました。

 

12月6日、当社大阪支店内に「フューチャークラスルーム」開設。清水康敬先生をお迎えしての記念イベントに池田先生と田嶋先生のASEP重要メンバーにご出席いただきしばしASEP2010の話題。

ASEP開催前にお二人にお会いできて、積年の「慣れ」から一気にもう始まるのだ、という高揚感へと変化するのが分かる。

今回はついに日本参加は過去最大の100名を数える参加人数となった。

 

いくつかの気付いたこと。

 

台湾あるいは高雄へのアクセスが多様になりかつ便利になった。

中部からの高雄直行便開設をきっかけとして、近年の台湾新幹線開通は台湾内での活動の幅を広げた。これは今回同行参加する立命チームに顕著に現れている。台湾到着日に高雄手前の旧首都台南の歴史フィールドワークが可能になる。

訪問国の歴史的背景を肌で感じることも国際交流の意義のひとつとおもう。

また、新羽田空港国際線による東方面の国内アクセスの利便性が向上し関東からの高雄アクセスがより便利に。このあたりはぜひ「バーヨウコウ」で五十嵐・杉本両先生に利用の感想をお聞きしたいところだ。

 

当初のほぼ名古屋空港一斉出発から、中部、関西、羽田と日本各地から高雄へ集合してASEPへなだれ込んでいく。

その意味で今回、24日に到着可能メンバーで決起会を開催できることは大きな意味があるはずだ。

 

また、ITを利用したモデル化が一層充実。

事前に影戸先生により、五十嵐先生のWYM高評や、プレゼン動画、例文、作成例などのリンクが開示され、日本側はもちろん台湾側へもプレゼンの意義・到達度が高い品質での達成が図れる。

内容や主張の個性や独創性は前提として、このようにプレゼンの品質の高次での維持ができることは出来=品質にとって重要なことと思う。

社会(産業界)で置き換えてみるとある意味でこれは「標準化」の過程であると考える。

いつでも、どこでも、だれでもが同じ品質のアウトプットを出せる。日本の製品が高品質の評価を世界で得たのはこのような「標準化」とそれに加えた「独創性」と「熱意」。

 

ではASEPでは。

先生の国内で出来る準備は用意できた。

そう、あとは参加する学生・生徒の「熱意」で最後の仕上げ。

 

では、みなさま、

高雄・蓮譚会館の高級ラウンジ「バーヨウコウ」でお会いできます事を楽しみにしております。

 

 

01【ASEP2010現地レポート(1日目・12月24日)】

 

冬らしい鉛色の空の関空から今年のASEPは始まりました。

お世話になります。市村です。

昨年同様に同行させていただいた、立命館中高、立命館宇治中高、羽衣学園ご一行は総勢37名のちょっとした団体。

 

9時過ぎの早い出発便のせいか、チェックイン、セキュリティ、出国と大きな渋滞もなく流れるように搭乗へと時間が進んでいった。

ほぼ3時間の予定通りのフライトで桃園国際空港に到着し、荷物もあっという間にテーブルに現れて、そのまま貸切バスで台湾新幹線の駅へと到着し順調この上ない旅程でした。

 

いつもは多少天気の悪い台北もどういう訳か上々の晴れで、上杉先生は「ちょっと暖かい11月の沖縄のよう」と表現されていました。

 

新幹線も順調で、1時間20分程度で台南駅に到着。

ここからは、赤嵌城と安平古塁を簡単に見学。スペイン統治の歴史的背景に触れるフィールドワーク。

西に傾きかけた夕日に急かされるように、一路高雄へとバスは急ぎ、これまたほぼ予定通りに高雄市街に到着。各校の宿泊先、交流先校へと巡っていった。

 

7時近くより、なつかしの中信大飯店ホテルで日本チームの大部分が顔を会わせての

ちょっといかめしく言うと「決起大会」。まぁ、みんなでどんな学校のどんなメンバーが来ているかの顔合わせの食事会と、交流各校に散らばる前にこのASEPの意義の再確認をする、といったところか。

 

影戸先生のご挨拶。

これから始まる国際交流で異文化の中で違いを見つけるのは簡単。違いのある者同士が仲良くするのには大変な困難を伴うが、それを乗り越えるのが国際交流の「グローバリズム」だ。うまく伝え、うまく経験し、それを分かち合い共有することが大切。

そのための教員のサポートがある。

続いて上杉先生は、ASEPの10年はこのIT時代の中でFACE to FACEで信頼関係を築けるという新しい世界を作った。この社会や教育の意識を変えたのはここにいらっしゃる教員の方々だ。わずか数人と言えどもこのように教育や社会を変える力があることを改めて認識し、君達にでもできるということを理解してほしい。

なんと含蓄のある挨拶でしょう。10年前にここ中信ホテルで初めてのASEPで宿泊して以来が頭の中を駆け巡りました。

何人の生徒がこの意味をどの程度まで理解したかは別として、これはやはり「決起大会」でした。

終了の際、各校ばらばらでテーブルに着かされていた生徒達は、「ここで仲良くなりましたか?」と言う問いかけに大部分が元気よく返事をしていました。

そののち、先生方は生徒のホストファミリー引取りを見送った後、昨年よりの宿泊先の蓮譚国際会館に戻り、10時過ぎにラウンジに改装した「バーヨウコウ」がオープン。ほどなく本日宿泊・到着の10名超の先生方がご来店。さまざまな話題が、大学高校の、学校間、地域間を越え、交わされていました。

すでに交流校との協働作業に入られた学校もあり、10年経ったけどこの手馴れているけれど手垢のついていないどっしりとした流れは何なんだろうか、と傍目で見守りつづけた自分に問い直してみています。

きょうは、このへんで。

 

 

02【ASEP2010現地レポート(2日目・12月25日)】

 

こんばんわ。市村です。

 

YAHOOのニュースによると日本は本格的な寒波襲来で、各地で積雪の情報が見受けられますが、ここ高雄もいくら北回帰線のずっと南にあるとはいえ、例年に比べて気温がひくく長袖で充分に過ごせる気候です。

 

遠くはなれて関係ないように見えて、「日本が寒ければ高雄も寒い」とは現地の先生の言で、じつは気象も連動しているとはなかなか気が付かないものです。

 

本日はクリスマスの土曜日とあって街全体も休日の雰囲気が漂っていました。

 

ここ何年かで珍しく久々オフの影戸とご一緒に市街へと用事を済ませに出かけました。

まずはホテルの部屋でお使いになる無線ルータを入手に電気屋さんへ。

ついでに周辺機器もみてもほぼ値段は日本と同じくらい。多かったのがPCに接続してワンセグやデジタルTVをみる装置でした。

日本とおなじように液晶やプラズマの大画面TVが主流のようで展示の大半を占めていましたが、世界的に売れているという韓国ブランドはほとんど見当たらず、台湾ブランドと日本の主力ブランドで展示も多くが占められていました。

展示の仕方を見ると、日本製ブランドの信頼性は強力のようでした。

 

首尾よく現地メーカーの安価なルータを入手できたあとは、昨年ダニエル先生に連れて行かれた乾物街の中の製茶店にタクシーで向かう。

三鳳中街といって高雄駅の近く、と言う事は高雄高校の直ぐ隣。

昨年とは逆の通りの入り口から入ってほどなく店を見つける。

 

小さいながら気立ての良い店の雰囲気は昨年の若い女性主人の代わりの若い男性従業員であっても同様で、150gで一万円以上する高級茶も「せっかくだから」と気前よく封をあけて試飲させてくれる。「うーん、確かに甘味もありおいしい」。

まあ、そんな超高級茶は買えませんが、リーズナブルなそこそこ良いお茶が格安で入手できた。

影戸先生の巧みな中国語で値引きも気前がよい。ついでにカラスミも購入と、どこかこの三鳳中街の中でお勧めを聞くと2、3軒となりの乾物屋に案内される。日本人とみると、「日本の方ですか?」と、流暢な日本語で店の若者が話し掛ける。聞けばこの店の跡取で昨年まで豊橋の愛知大学へ留学していたと言う。愛知の大学ネタで影戸先生としばし盛り上がる。これもまた安い価格で入手。

お茶も買わずに沈黙の林先生が俄然カラスミ6個の大量発注。店の人も聞き違えるくらい。買ってきてくれとたくされているのだそうだ。

 

ここでまた、どこかこのあたりで台湾らしいお勧めの昼食処はと跡取に尋ねると母親がお勧めの店へ連絡し、タクシー運転手へ行き先指示。ほどなく高雄駅の裏手の線路沿いにある、戦前の駅食堂を模したレトロスタイルの台湾家庭料理へ到着。おりしも休日の昼時とあって多くの家族連れでにぎわっている。

これもまたおいしく格安の昼食で充実。

 

午後からは部屋掃除の間に近隣の散歩がてらの徘徊、が途中同じくお散歩の林先生に偶然あって徒歩で左榮のMRT駅まで歩く。なんでも高雄MRTのプリペイド乗車カードを所望されていたようで購入後は一駅ながらMRTでホテル最寄駅まで。さすが鉄っちゃんの血が騒ぐ?

 

夜はダニエル先生と大学先生中心の夕食へ同行。

これもまた、オール地域中華料理の攻めにあって一同ほどなく満腹に。

 

そして、今夜は10時より開店の「バーヨウコウ」。

 

無事マニラより(離陸前に部品が壊れて修理して)飛んできた吉田先生や大西先生、槇先生を含めて内容の濃い話題での歓談。

 

FACEBOOKでの実践をされている岩本先生に大学教員からの質問、質問。

高校の学力判定の実情、などなど、ASEPならではの多岐・異校種間の会話がはずむ。

英語の大学先生と映像メディアの大学先生がそれぞれのお互い分野での意見を交換しあうなんて同種研究分野が主のどんな研究会・学会でもおそらくは見ることのできない光景では。

 

でもこのASEPでは当然のように行われ、ある意味「バーヨウコウ」での日常風景。

参加校も先生も大分が今夜にはみな無事到着され、交流校歓迎の酒宴の代表を一手に引き受けている上杉先生も「コーリャン酒は強くて・・・」と呟きながら昨年と違って まっすぐ歩いてソファーに座られるほど無事なのがなにより。

 

今回初参加の福商の「最終兵器」西尾先生が私にポツリと呟いた。

このASEPの活動は知っていて当時から田嶋先生に、「ASEPってどうなんですか?」と質問すると、

「いいよ」と言った後の口元がニッと緩む意味がわかような気がすると。

 

明日からは本番を控えて本格的な指導に各先生方は向かわれるためでしょうか、三々五々のお帰りは若干早いようなきがしました。

では、また。

 

 

 

03【ASEP2010現地レポート(3日目・12月26日)】

 

寒い、とにかく寒い。

長袖でも肌寒い、半袖は言うに及ばずの寒い高雄からこんばんわ。

市村です。

 

本日は昨年訪問した南山国際・西先生の交流校樹徳家商のお誘いで西先生と共に最南端の国立公園墾丁(クンティン)へドライブ。

道中約3時間の道のりの案内役は樹徳家商・日本語担当のスーイ先生と英語担当のアジー、メアリーアン両先生。

椰子の木がだんだん目立って田園風景が広がるようになり、途中の車城という所にある福安宮という道教の寺院を訪問。建物は鉄筋のビル仕様の大きな寺院で全国的にも有名ということで、日曜日と相まって多くの参拝客、文字通り老若男女が参拝している。

供物の紙のお金の束を炉の前に差し出して、燃焼の際の空気の移動を利用し、自然に一枚ずつパラパラと吸い込まれていくのを実際に体験させてもらう。

 

次は堂内でおみくじを引く体験。

少々ややこしく、半月形の片側に赤い色のついた木片を二つ同時に投げてお伺いを立てながら引く数字を決めていく。裏表それぞれ揃わずに一方ずつの混在組み合わせがOKのしるし。

で、一回目は名前を伝えおみくじを引いてよいかどうかの確認。混在の組み合わせになるまで繰り返す。二回目は占う内容を伝えまた確認。そして三回目でまた混在で数字の書かれた細い棒の束をかき混ぜて一番高く残った棒に書かれた番号の引き出しを開けておみくじを取り出す。中吉でした。

この手続きの進行が二進法と段階プロセスのデジタル処理の原型にそっくりで、なにか妙なきがした。

 

寺に隣接する市場では高雄とはまた違った産品にあふれこれまたおもしろい。熱帯と原住民の伝統が産品に色濃く影響している。

 

お釈迦様の頭のようなその名も「釈迦頭」。とてもあまく表現しがたい食感。

サトイモ、タロイモのようなイモなど南方海洋文化のよう。

客家の笹の葉につつまれたあんころもちをいただく。

 

恒春では2、3年前に台湾で爆発的ヒットを記録した「海角七号」という台湾映画のロケ地の城壁門で記念撮影。同じような観光客が次々ときている。

この一見意味不明のタイトルにこめられた日本と台湾の関係と挫折した若者の再生がプロットのようだがいかんせん日本での拡大上映はなく、上杉先生によるとDVD日本語字幕も遅れて出たよう。

中国本土では内容が不適切と上映が控えられているようだ。

 

さらに南下して到着したのが墾丁国立公園。

この地はいまを遡る事ウン十年まえ、若かりし学生上杉先生が沖縄から蝶の採取研究のため戒厳令下、路線バス乗り継ぎの過酷な移動体験を経てたどり着いた場所。

近くの浜はバシー海峡を望み、多くのサンゴの死骸=外殻が流れ着いている。

昼食後は太平洋側の龍坑などに立ち寄る。台風以上の強烈な風で打ち寄せる白波と相まって壮絶な景色を有している。台湾最南端を体験し、日も暮れかかって一路高雄へ。

 

ホテルに到着して早速、例年ビールの差し入れのある黄先生が来られる。急遽、部屋に戻られている先生にお越しいただき旧知の挨拶と新規は初対面の挨拶。

なんと、門前先生が学部は違うが金沢大の卒業と聞いて、黄先生は後輩が出来たと大喜び。そしてそのまま「ばーヨウコウ」の開店となり、早い時間といっても9時ごろからスタート。

各校の作業状況上での相手とのコンフリクトや意見の相違を同まとめ納得させる、この解決策の話題に皆さん反応し活発な意見交換。

でも、結局みなさん1時過ぎまではいらっしゃいました。

明日は早速の予定変更で、プレス発表は11時から。林先生の和服姿がお目見えです。

と、書いてるうちによがあけそうだ。

どうやらあすも寒そうで、夏服中心でちょっと心配。

では、明日。

 

 

04【ASEP2010現地レポート(4日目・12月27日)】

 

やっぱり高雄はこうでなくちゃ、と思わせる快晴と、梅雨前の初夏のような爽やかな空気で公式行事のスタートの4日目がはじまりました。

 

大学先生方のグループと公式記者会見と本番のある幹事校の三民家事職業高校へ。

馴染みの学校に到着するとASEPの参加国の垂れ幕がかかり台湾ではおなじみ正面入り口にある電光掲示板には歓迎のメッセージが流れている。

さすが、このASEPを通じて学校力を上げてきた実績が表れている。

まずは校長室へと案内されるが、今年完成した新棟に案内される。この棟は今回のASEPの会場となるホールと校長室や学校活動の中心となる施設がよういされている。

校長室での一年ぶりの再会を黄校長と果たした後、早速記者会見会場の6Fへ。

ほどなく、会場前のスペースで昼食ビュッフェ。三民のいつも通りのレストラン科の生徒たちがそろいの給仕ユニフォームで料理のケアをしていく。

これもなにか懐かしさと親しみを覚える。

 

当然、VIP対応の観光科コンパニオンの女生徒もあの赤いブレザーと白いスカートのユニフォームで案内役。

初めてこの観光科コンパニオンを見たときに旧福商の田嶋先生とここまで職業高校が力を入れるって・・・、と衝撃を受けた話をしたことが脳裏に蘇ってきた。

各校の代表相手交流校との指定場所に着席して、まずは共同作業ということで記念品のランタンの組み立てをする。

 

ASEPの立役者である影戸先生の挨拶に続き、教育長の挨拶。

この教育長は地元国立中山大で教鞭をとっておられた方で、ASEPの台湾側の発起立役者のチェン・ナンシン先生の事にも触れられた。

次は民族衣装を着た各国代表に参加記念の盾の贈呈式の後は恒例の参加者記念撮影へと続く。そして、午後からの公式教員ツアーへの誘導と例年に比べて一連の流れが簡素で比較的ムダなく動いていく。

 

バスに乗り込むために校舎の外にでるとそこは間違えなくいつもの高雄の「暑さ」を

多少ながら実感できた。

今年の教員ツアーは例年より参加者が多く、今回は新しい目的先の美濃・客家の里だからだろうか。

高雄より北に小一時間ばかり北上した山懐の美濃へむかう。

美濃のある旗山地域に近づくにつれて田園地帯へと車窓が代わって行き、なんだか懐かしいような日本の田舎の風景によく似た雰囲気の情景であることに気づいた。

よくよく見ると田園の合間に建つ民家に瓦屋根の切妻が多いのだ。

それで日本の田園風景とよく似ているのだ。

 

客家地域では伝統の木の実などをすりつぶしてお茶と混ぜたレイ茶のすりこぎ体験と

これもまた伝統の油紙で貼る傘への模様書入れの体験をする。先生方はASEPや交流などのメッセージの入った図柄で仕上げ。

影戸先生の傘のお言葉、「今ここ 頂上と」。

あえて自己流に解釈すれば、頂を目指して登っている「今ここ」(現時点)は、それは一番高い所、すなわち頂上であるが、本当の頂上はまだまだ先にある、というこのASEPの10年の節目が在る事の、そしてこらからの一年一年が頂上であるようにとの思いと願いなのか。

 

すっかり日も落ちて、つい3日前に周辺地域を合併して276万人の、市としては台湾最大の規模になった高雄市のきらびやかな中心部へとバスはむかい、三民家商の道路を挟んで東側の公式レセプションの会場へ到着。

レセプションでは交流校を中心のテーブル配置で各校への記念パネル贈呈式の後は各テーブル、あるいはテーブルを廻っての旧知、新知の挨拶が交わされる。

2000年頃の開催当初時期の宴会のお祭り騒ぎのような派手さはないけれど、実効性のある内容であったと言ってよいのではないだろうか。

 

例によって「バーヨウコウ」は10時開店。

昨日の黄先生の差し入れのビールも今日で底を尽き、これもまたいつものように高校・大学・複数回参加・少回数参加・初参加入り乱れて情報交換、意見交換が続く。

 

聞かされていた予定では会議室での自己紹介あいさつが、いざ当日では全校朝礼の全校生徒の前での挨拶となってしまい、首尾よく行くか引率先生の不安をよそに引率生徒全員がそれぞれ違った内容でみごとに自己紹介をやってのけたことに対しての、生徒の成長の驚きとそれを目の当たりに体験してしまった自分について話しておられた先生。

きっと、日本を出発する前の「なぜASEPなのか?」という自問の答えのひとつを見つけられたのでしょう。

 

あすはプレゼン本番です。

首尾よくいけばそれは成果で評価し、失敗してもその経験した悔しさや思いを土台としてどれだけ次に高められるか、を見守ってくださる先生の掌の中にいる生徒たちは本当に幸運だ。

では、また明日深夜に。

 

 

 

05【ASEP2010現地レポート(5日目・12月28日)】

 

昨日に引き続きの晴天でやっと高雄らしい初夏を思わせる天気で始まったきょうは、いよいよプレゼン本番の日。

 

ホテルから近い三民職業高校へ、ほとんどの先生が最後の生徒指導へと早朝から向かわれた中、影戸先生とタクシーでむかう。

思えば2000年に始まったころは高雄の地図も道も不案内だったので、すべて高雄側で仕立てたバスで移動していたのを思い出す。

今年なぞは、各先生が自分のスケジュールに合わせて、同時間同方向なら誘い合ってタクシーで効率良く移動している。

ホテルに戻る際、ホテルから行動する際、いちいちメンバー確認して行動しないほど高雄の街に先生方が慣れた証拠なのだろう。

 

学校に到着すると早速体育館でのオープニングセレモニーへ。

 

本日夜に開催のフェアウェルパーティー用に既に準備されたPAシステムを利用して、教育長の挨拶登壇から軽快なバックミュージックが入る。

校長の登壇時でもラップ調のBGM。まぁ日本では公式行事に想像もつかない。

 

そして影戸先生の挨拶登壇になって、多分、間違いなく日本先生の期待を裏切らず、マンボ調のBGMにのって、「ウッ!」のところでポーズ、そしてポーズでご登壇。

これで会場全体への「つかみ」は完全にOK。

オープニングセレモニーが終ったあとは、大学チームと職業高校チームは昨日公式会見の行われた新棟6階の会場。普通科高校チームは今まで使用していた2階のホールへと移動し今回は2箇所に別れてのプレゼン開始。

 

高校・大学と今年は先生方の指導の観点の置き場所が異なっているらしく、いかに相手を受け入れたうえで納得させ合意に持っていくかのネゴシエーションのプロセスに観点を置くのと、自分達の言葉や意志に咀嚼されたメッセージを効果的な良質なプレゼンとして発表できるか(できたか)に観点を置く、に別れているようだ。

ただし、どちらかがどちらかより重要であるという意味ではない。

毎年のレポートで書いているが、発表の出来については先生方の振り返りにお任せすることにしよう。

高校生は本当にプレゼン表現がうまくなった。時間稼ぎでないスキットの効果的な使い方が顕著だった。高校の先生からは大学プレゼンの理論性、整然性への好評価が一方で聞かれた。

 

2会場で実施のため午前4、午後4の合計8チームのプレゼンは集中力を持続できた間に終了した。

後日談だが、2会場とも他社発表の際に中座したり、私語をしたりの聞く態度の悪い生徒がいなかったことが今年の特徴のひとつだろう。

 

これは、オープニングの影戸先生の挨拶でもいい聴衆になろうという喚起の影響か、中学生の参加が少なかった故か、はたまた、日本参加者にとって決起大会を実施したことでASEPの参加の心構えが当初に認識できたことなのか、このあたりは今後どの時点かで公開される各先生のリフレクションで探って行こう。

 

プレゼン終了後はまた体育館に再集合し高評と表彰式。

 

受賞後の立命館チーム、代表で登壇して受賞盾をもらった女子生徒が降壇するなりご指導の藤本先生と堅く抱き合い涙を流し、先生がその頭と体を優しく抱いている光景は、この何日間かの師弟の曲折を垣間見たようだった。

 

しばらくの休憩の後会場を同じくフェアウェルパーティーが始まるのだが、VIPのテーブルセッティングを同校のレストラン科の生徒たちがウェイター・ウェートレスの制服をきりりと身にまとい、先生の指導の元寸部も違わぬようにクロス敷きから作業を始める。

 

同じ場所にはプレッシャーから解放され写真を撮ったり思いっきりはしゃいでいる生徒達にはわき目もふらずに、まるで眼中にないようにきびきびと自分達の仕事をこなしていく。

そのまま、仕事上よく見る全国に名の通った有名ホテルの宴会場スタッフと変わらないくらいの作業ぶりである。改めて、この子たちのプロフェショナルへの意識とプライドの高さを感じざるを得ない。

 

2000年に初めてここ三民のこの場所でまさに給仕サービスをする高校生の立ち振る舞いをみたあの衝撃のまま、そして10年たってもやはり同じ心構えでの指導と実践が三民にはある。

ただ、かわいかったのは、ほぼ準備も終わったころで心に余裕ができたものと見え、向けたカメラに気づくと笑顔でピースサインをする姿にはほっとした。

役務ではなく職務、やらされているではなく自らやっている自覚がなければ笑顔は出ない。将来きっと良い「裏方」になれるだろう。

 

 

伝説のこの体育館では恒例の自身デザイン・縫製のファッションショーから最近増えたヒップホップダンス、そして今年初お目見えの樹徳商高の高校生パフォーマンスとは思えないバーテンダー芸、中正軍学校のフラッグ隊を含むドリルバンドのパフォーマンスなど新しいパフォーマンスも登場し、さらに歓声と興奮につつまれて最高の盛り上がりを見せた。

予定より大幅に長引き、ホテルに到着したころはもう10時。ほどなく学校体育館では味わえなかったビールののど越しを求めて三々五々先生方のお集まりで、準備もそこそこに「バーヨウコウ」の開店。

 

プレゼンの感想、ジャッジの実情、そして今回のリフレクション原稿の仕様、来年のWYMへと動く春からのスケジュールの確認。はたまた1年後のASEPの行程の組み方まで。

 

本日で各校の共通の予定の終了で明日からはそれぞれの帰国の途につく。

またしばらくは地元で、このASEPの感動や得たものを心の中に秘めながらまた、日々のご指導につかれることでしょう。

 

今年は日本チーム100名以上参加だから来年はチャーター機を仕立てよう、羽田から出発で、中部、関空経由で。いやいや、九州から航路があるから船内でプレゼンや教員セミナーをしながら高雄を目指そう、などと先生方、本当に好き勝手なことを真剣に話し合っています。

 

これだからこそ10年もステージを上げながら続けてこられたのでしょう。

長い付き合いになりました。

 

明日は、早朝にホテルをバスで出発して途中相手校で生徒をピックアップし、新幹線で一路台北へ。高雄とは又違った、歴史フィールドワークと夜市での生活フィールドワークの貴重な体験学習が待ってます。

明日バスに乗り遅れないように、本日はこのあたりで。

「バーヨウコウ」の高雄支店の閉店時間となりました。

 

 

 

06【ASEP2010現地レポート(6日目・12月29日)】

 

生徒の交流校でのピックアップのため早朝6:30ホテル出発で6日目がスタート。

 

到着当時の肌寒い天気から今日も快晴でやっと高雄らしくなったと感じたらもう離れらければならない、そう思うほどあっという間の高雄の6日間だった。

 

 

同乗した立命館宇治チームのピックアップのため、三信家商業へ向かう。

7時過ぎの到着だが、折りしも登校時間とあって街角から次々と生徒が校門へと流れ込む。

ホームステイのホスト生徒と先生に見送られて立命宇治の生徒はバスの車窓から別れの手を振る。「帰りたくなーい」、の生徒の言葉に今回のASEPのホームステイの成果が集約されているのは間違いない。

武部先生の「さぁ、おかあさんが待ってるから帰ろ」、を切っ掛けに新幹線に乗るべく左榮駅へ。8時ころには高雄高、高雄女子高でピックアップされた立命館中高チームと各自集合の羽衣学園高と合流。

 

羽衣学園は駅まで高雄工業の見送りがあったので、発車時間ぎりぎりまで離してもらえず、あやうく乗り遅れる寸前。国内外共に旅なれた米田先生のこと、ギリギリで乗車。

先に乗り込んだ一同、一時は乗り遅れたのがと騒然でした。

 

以前のASEPで影戸先生よりうかがっていた車内販売がやってきた。

お話の通りに多少の日本語でのやり取りができる。吉田先生にコーヒーをご馳走になりそのお礼にお土産で頂いていたお菓子をお茶請けとして差し上げる。双方とも美味でなかなか。

そうこうしているうちに台北駅へ到着。バスで風光明媚な淡水へと移動。

約50分で最初の訪問地の紅毛城に到着。牢屋もある施設やお隣の旧英国領事館を見学後これまた旧税関の建物そのままに利用したレストランでの昼食。

バスの発車時間まで河口の岸辺をうろちょろ。対岸との連絡船埠頭のあたりは独特の開放感があり爽やかな昼下がりを過ごす。

 

今度は市内へ戻り、途中これでもか、と言えるようなカーブの連続を陽明山目指して

移動する。目的地は蒋介石が晩年を過ごした別荘。別荘と呼ぶには考えられないほど膨大な敷地を陽明山の懐に抱えて、内部見学は1日の見学者数を限定しているのでめったに見学はできない施設である。

室内は当時そのままに残されていて、文人面会用書斎、軍人面会用書斎、アイゼンハワーの訪れた応接間、食堂、妻 宋美齢の寝室とバス・トイレまで。

逆にプライバシーを永遠に晒しているような趣だった。

ベランダに出ると山腹ゆえに眼下に台北の街を見渡せ、瞬間ヒトラーのベルヒテスガーテンを思い出した。

 

下山しニ・ニ八記念公園へと向かう車中で上杉先生が今回のこの2ヶ所の訪問の意義を説明する。ニ・ニ八事件の概要と蒋介石の晩年の生活、そしてそのニ・ニ八事件の蜂起が高雄をはじめ瞬く間に台湾全土に広がった一因である台湾放送協会の決起を呼びかける日本語での放送など。

台湾人であるガイド氏が完全に下を巻くほどの流麗で的確な解説。

学生時代から蝶を通じて、戒厳令下そして現在と台湾の一時代を見守り続けてきた思いを幾人の生徒が感じたか。あるいは将来思い起こして感じてくれるだろうか。

 

総督府や台北一女中を過ぎて暮れなずむニ・ニ八記念公園のモニュメントで記念撮影したあと、ガイドさんが公園内に乃木希典の妻の鳥居が残っていると言うので早速行ってみると既に跡形もなく撤去されている。

「すいません。本当にここにあったのですが」と申し訳なさそうに話した後、「大丈夫5年後にはまた復活していますから。」

そして行天宮でお線香を使った参拝とおみくじでちょっとした台北市民の日常を体験したあとはホテルにチェックインして士林の夜市へと繰り出していく。

私は今回東京でのお仕事から直行で高雄にいらした立命中高の田中校長と林先生でいつもの製茶屋へ。

1年ぶりでいつも道を間違えそうになる。

いつのまにか日本人観光客で一杯になった店内で、二代目のご主人の薦めるままに次々と試飲していく。

「名古屋の大学からいらっしゃましたよね」、「あの先生(西先生)お元気ですか」と巧みな日本語で話しかけてくる。1年に一回の訪問だがきっちりと覚えておいてくれている。

試飲で気に入っていただいた田中校長共々お茶を購入し夜市の鍋屋へタクシーをとばして駆けつける。

鍋奉行の吉田先生の采配の下、おいしく頂き夜市を見学。

その後、本日も「バーヨウコウ」は開催の運びとなり、吉田先生、上杉先生、林先生と途中からお越しいただいた米田先生のご来店。

高雄で10人超さそってにぎやかに来店していたここ数日とは打って変わってこじんまりとしたもの。あの豪華ラウンジの心地よい喧騒から、落ち着いた安堵感の漂う台北の一室で色々な意味でのそれぞれの旅の終わりを予感させる。

あすは8時にロビーに集合して帰途へとつきます。

                                                            こうして「バーヨウコウ」の本年最後の店開きはASEPレポート終了と共にまた来年へと皆様と再会できるのを楽しみにしています。

「いつかどこかで、バーヨウコウで」

 

 

 

07【ASEP2010現地レポート(後記)】

 

ASEP期間中に撮りためた写真をサポートサーバにアップしつつ、眺めつつ、

期間中に書きもらしていたいくつかのことを振り返って後記とさせていただきます。

※アップした私の写真や現地レポートを読み返していただきましたらより分かりやすいと思います。

 

【JAL813便】

今回の関空発台北行きのJAL813便は 915発で昨年より1時間近く早い出発で、そのせいかチェックイン、出国とも人も少なく予想外に早く済んだ。

そんなわけで、早めに出発ゲートに行って搭乗予定の813便を確認に行くと、いつものJALのおなじみの塗装でないのに気がついた。

最近は各社色々とキャンペーン塗装がはやりだが、この813便はいつものJAL塗装ではなく、なんと胴体に「ONE WORLD」と大きなロゴが入っているのだ。なんだかこれから国際交流をする我々が乗るにふさわしい塗装ではないか、と思わずシャッターを切った。

 

7、8割くらいは座席は埋まっているだろうか。ほどなく機内食事サービス。なんと、ランチボックスのようなものを配っている。JALはここまできたのか。まるで長距離国内便のよう。

中に入っていた説明では人気の「空弁」特別企画ということで、後から暖かい中華粽が配られる。よくよく考えてみれば、通常の機内食と大して内容はかわらないのだが、なんだか簡素化されている印象をうける。

  かつてのフラグキャリア(国を代表する航空会社)のJAL、という印象はいまはいずこへ。

時代は新しい価値観へと移行する時期なのか。

 

【お土産を買うところ】

観光旅行ではないので、ASEP期間中はお土産を含めたショッピングに終始することはない。とは言いつつも、国内のお世話になった方々や送り出した学校の先生方にお土産を買うのは先生にとっても人間関係を維持する上で大切なことには間違いないだろう。

  中信ホテルが定宿だった一昨年までは、高雄に詳しい上杉先生に教えてもらって、ホテルのすぐ近くにある「新東陽」という台湾全土に展開している物産店で購入していた。夜10時まで開いているので、一連の活動のあとホテルに戻ってから駆け込みでも買えたし、なにより品質と価格がリーズナブルだった。

 

現在の蓮譚会館は幾分郊外なので周りにはそのような店はなく、ただ昨年は幸運なことにダニエル先生に高雄の乾物街に案内されて無事にお茶やカラスミを先生がた共々に購入できた。

今回も同様宿泊となって、さて、また自力でどうやってあの乾物街にいけばよいかと思っていると、はたと気がついた。グーグルマップがある、と。

昨年の事を思い出しつつ、三民区で近所に大きな道教の宮があったなと探っていると、それらしい場所が見つかる。「三鳳中街」と呼ぶ台北の有名な乾物街と並ぶ大所であるけれど、ガイドブック等にはほとんど載っていない。

ここで、グーグルマップのストリートビューに切り替えて、ダニエル先生が車を止めた駐車場からの道筋を思い出しながら、交差点の角に警察署があって、少しはいったらアーケードの入り口があって・・・。

あった、あった、たしかにこの「三鳳中街」のアーケードで間違いない。マップをよく見れば高雄高のすぐ近くだ。

 

今回、現地レポートで書いたように日曜日に時間があったので、影戸先生と林先生とで行ってみますか、とタクシーに乗り「三鳳中街」の漢字を見せると何事もなく、前回とは逆の入り口に無事到着。

こちらの入り口もグーグルストリートビューでチェックしておいたので憶えている。

こうして首尾よく昨年の製茶店を再訪できた次第だ。

 

実は、蓮譚会館付近でも事前のグーグルマップは重宝した。前回、当時福商の今川先生がホテル近くで安くておいしい店があったとのおおよその場所の話を聞いていた。何かの役に立つかもしれぬとこれも事前にストリートビューでチェックしておいた。

26日に墾丁から夕方戻ってくると輔英科技大の黄先生がビールの差入を持ってほどなく訪ねてこられる時間となっていた。同行の西先生とサクッと近所で夕食をすまそうという話になり、ホテル内のレストランはそれなりで高級そうで、そうだ、チェックした今川先生の行かれた店が近い、と思いだし地元の人が常客の店に入る。英語で話すと多少分かる若い店員がやってきてメニューの説明をしてくれる。おいしい麺と肉御飯と餃子で満腹の上に格安で素早く夕食をすますことができた。

 

なんと便利な時代になったことやら。

 

【台湾銀行と台湾人のマナー】

樹徳家商の先生のお誘いで西先生と墾丁に行ったのは26日の事だった。

当日分の現地レポートでも書いたように、途中立ち寄った車城という所にある台湾全土に有名な福安宮というお寺の横には活気のある市場があった。ここには、「釈迦頭」を始めとする南国の果物とイモ類、当然海産物の店も多かったが、実はピータンが名産らしく多くの店が構えていて、これもまた日本で見たこともない、あの白身が紫色以外の多くの種類が店頭に並んでおり圧倒されてしまった。

あまりにこのピータンの山に圧倒されたので、購入はもちろん、写真に撮る事さえ忘れてしまって、今思うと残念である。試食はおいしかったのに。

 

この市場で同行の樹徳家商の先生方から「釈迦頭」の試食をさせてもらった。写真にもあるようにその名前からおよそ想像を超えて、クリーミーなとっても甘い白い果実で、英語では「カスタードアップル」と呼ぶ場合もあるそうだ。

この果実には枇杷のものを小ぶりにしたような種があり、その場で食べた時、この種と皮の処分(捨て場)にちょっと躊躇して西先生と顔を見合わせた。

雰囲気を察知したのか、同行の樹徳家商の女性3先生が、「ここは市場で毎日誰かが道端や溝を掃除しているので、遠慮なくそのまま下に捨てていいですよ。」とアドバイスしてくれる。郷に入っては郷に従え、で回りの人と同じように遠慮がちに道端の溝に外皮と種をペッと捨てる。

やはり、ここは台湾だ、と実感した次第である。

 

さて、こんな体験をしてその晩。

10年近く前にプライベートで行くはずだったが故あってキャンセルとなったアメリカ西海岸旅行のために購入したアメリカンエクスプレスのドル建てトラベラーズチェックが手元に残っていたので、以降のASEPを含めた海外旅行の際に利用してきた。今回最後の20ドル分を使い切ってしまおうと予定していた。

早速、蓮譚会館のフロントで換金を申し出ると、ちょっと待ってとどこかに電話をしている。そしておもむろにT/Cはうちでは換金できませんと申される。

最強のドル建てしかもアメックスT/Cが使えないとは。

えっ、今までの中信ホテルではすぐに何事もなく、パスポート提示もなく換金してくれたのに・・・。唖然とした。

仕方ない、台湾銀行だったら間違いなく換金できるだろう。

 

明日は記者会見を含む三民での公式行事。グーグルで台湾銀行・高雄と検索するとなんと三民から東へ2ブロックくらいに支店を見つける。徒歩で10分以内。

会見前の昼食時間に抜け出して、メモに控えておいた略図をもとに無事に台湾銀行を見つける。

中に入り1階のカウンター表示をみるがそれらしい英語表記はない。どうしよう。2階に上がる階段の上に「EXCHANGE」の表記発見。急いであがってどのカウンターかさがす。通りがかりの行員と思しき年配女性に英語でT/Cを換金したいと尋ねると窓口を指さされたので、早速係の行員に換金の旨を伝える。

多少T/Cが古かったと見えてPCオンラインでのナンバー確認を若干慎重に行っていたようだが、ほどなく問題ない結果と見えて払い出し書類にサインと現住所を書いて、との指示がある。さすがに現住所はホテル?と思ったので、旅行者だと告げると了承してもらい払い出し書類完了。

これで換金、と思ったらこの窓口では払い出し書類だけで換金は1階の3番窓口へとの指示。とりあえず階下へ降りて3番窓口を探すとそこは他のカウンターとは趣が異なり、天井までガラスで仕切られた専用ブースになっている。

よくよく1階のカウンターを観察してみると、他の窓口では書類のやり取りはしているものの入出金の現金のやり取りは一切していない。全て現金出納は専用3番窓口で行われているのだ。

そんな仕組みなので、一旦手続きの終わったお客は全員この窓口に並び順番を待つことになる。

数人の列の後尾に並んで順番を待つことになったのだが、先頭の客はどこかの店主と見えて大量の小銭を持ち込み両替している。中の行員は1人だけなので時間と手間がかかっている。

でも、列に並んでいる人たちは別段焦る様子も、せかす様子も、まして文句を言う様子もなくちゃんと順番を待っている。後からきた若者もちゃんと列の後尾に加わり平然と待っている。

ほどなくT/Cが無事換金できたことより、この台湾人の列の整然さが深く印象に残った。

 

昨年の故宮博物院での割り込み集団の実体験やよく聞く中国本土の人のマナーと比較して、広い意味での華人では同族なのにどうしてこうも違うのか、が心に引っかかった。

何が違うのだろうか。

考え続けていると、昨年の二・二八記念館見学の際に展示説明のどこかに、犠牲となった多くの人は知識層ではあったが、当時の教育は近代法治国家としてのディシプリンをその基礎にしていたという説明があったように記憶していたことを思い出した。

それを前提とするならば、台湾という国と人は内容や程度は別にして、おそらくは現在までも近代国家の住人としての規律・原則の教育をうけている「華人」ではないだろうか。

なんだか、司馬遼太郎のような話になってきたのでこのあたりで切り上げることによう。

 

ASEPWYMも10年を超えて、おそらくは何年か後にASEPWYM「成人の日」を迎えることができるだろう。

これらのプロジェクトはまさに子供の成長にも似ている気がする。いつか手を離れて大きく飛躍する期待と、まだまだ構ってもいろいろと成長できるような。

「成人の日」の今日にこのようなことを考えた。

(1月10日記)

 

ではまた、いつかどこかで「バーヨウコウ」で。