ASEPを通じて得られる視野の広がりとその還元に向けて

福井県立若狭高等学校

門前 秀洋

 

1.ASEPへの参加を前に

昨年10月、根岸英一氏がノーベル化学賞を受賞されたのは記憶に新しい。その際、根岸氏は記者会見でこう述べられていた。「若い人たちに伝えたいのは、君たちの舞台はすでに世界だ、ということです。」この言葉を耳にして以来、私は英語科教員として伝えていきたいものを明確に表した言葉に出会ったと感じることができた。とりわけ、私は根岸氏の「すでに」という表現にかなり関心があった。事実、私自身は「これから社会に出る人たちは…。」などといったように、「これから」と表現することが多々あったからだ。それからというもの、授業を通して幾度か私の解釈ではあるが、根岸氏の言葉を話してきた。しかしながら、根岸氏の言葉を話すことで生徒に何かしらの新しい考えを持たせようにも、私の個人的な解釈では説得力ある語り口調とはなっていなかった。根岸氏の言葉を生徒に語りかける、その根拠が明らかに不足していた。

今にして思えば、私の解釈は生徒たちが納得しうるほど身近なものではなく、生徒にとっては何か遠くの知らぬ人の話をされていると感じてしまうようなものであったのだろう。「新しい出会いや新しい可能性を…。」などと言ってASEPへの参加を呼びかけてはいたが、当初はASEPへの興味を示す生徒は少なく、継続して声をかけていった成果が今回参加した5名の生徒であった。そういった中で、私は今回の5名の生徒たちがどのように感じ行動していくかを間近で見ていくことが、私が根岸氏の言葉を生徒たちに投げかけていくための最大の根拠を与えてくれるものと信じていた。

 

2.ASEPを通して見えた変化

彼ら5名が見せてくれた姿は、私の想像以上であった。このASEPを通じて、彼らは意欲的に自分の意見を発信し続けた。そして、多くのことを考え、想像し、さらに実践し続けた。初めの様子は予想通りで、受け身的であり聞いて指示されてという状況であった。ほとんどの会話がYes-No、一方通行の会話でありとてもdiscussion, collaborationなどと呼べるものではなかった。いつのこの状況が変わるかと待っていたが、意外にも変化は早く訪れた。とりわけ男子生徒2名の変容は驚くほどであった。この2名は私の目には女子生徒3名に比べ、初対面の時に相手校の生徒との距離がやや遠いように映っていた。しかし、ホームステイの効果は絶大である。ただの1日が過ぎただけであっても前日とは明らかに違っていて、どんどんと会話を進めようとする姿がかなり印象的であった。言いたいことを言えないもどかしさを打開するために、とにかくよく質問をするようになった。彼らはいったいいくつの質問をしたのだろう、私自身もかなりの質問を受けた。彼らはコミュニケーションを行うために、思考し続けていたのであろう。相手の意図が分かってくると、徐々に発信へと向かっていった。彼らは彼ら自身の想像力を駆使して、プレゼンテーションにおいて自らが思う最善の方法を提示できるようになっていった。私はここに想像と協力が成立したと考えた。彼らはまさにASEPの意義を体現していたのであろう。ここでのASEPの意義とは、互いに意図するものが異なるというconflict(折衝)、表現力の差によるimpatience(もどかしさ)、それら2つを乗り越えるためのcooperation(協力)、その過程全てがeffort and collaboration(努力と共同)と私は考えている。

 

3.生徒に変化をもたらす要因の考察とそこから得られるもの

今回ASEPという機会を得て、生徒共々異国の地を訪れたわけであるが、このように異国の地に来ると好奇心が刺激される。国内においても未知の場所はかなりの興味を引かれるが、想像の及ぶ範疇かどうかということが大きな鍵となる。国外では推測できない範囲が多く、純粋な興味・関心はすごい。底が知れない。次から次へと興味を引かれるものが現れる。特に人との交流は、考え方つまりは文化の違いを経験できる最大にして最良の機会である。今回参加した5名が毎朝ホームステイ先での様子を互いに話しているのを聞いていると、新たな発見がある度にそれに対する自分の意見を確実に持っていることが分かり、彼らが積極的に関わろうとしていることが伝わってきた。

出発前に「台湾の人々は親日派である。」と、よく聞いていた。言うに難くないが、体験するまでは単なる知識の一部に過ぎない。しかし、百聞は一見に如かずである。私自身もその一人であった。このように改めて実感することができる場を与えていただいて、非常にありがたかった。5名の生徒の変容を見ることも同様であった。海外の学校・家庭を訪れた生徒が、初めは苦労するが最後にはすっかり順応しているといったようなことは、伝え聞いていたこともあり容易に想像できた。しかし、想像にはやはり現実味(reality)が足りていない。その足りない部分を今回のASEPが十分に埋めてくれた。このように経験を得た知識は、私が英語を通して他の生徒たちに伝えるものを大いに支持してくれる根拠の一つとなると考えている。

 

4.外国語科教員としての視野の広がり

今回、このASEPに引率という形で参加できたことは、私が教員としての視野を広げるのに大いに寄与してくれた。生徒が変容していく姿を間近で見られたことが最大の理由であるが、その中でも彼らが価値観・文化の違いを理解しようとする過程を見られたことは大きな価値があった。彼らの姿を見ていると、私が思うに価値観・文化の違いを理解するためには、1)知識・経験を得ること、2)それらに対して考えを持つこと、3)主張すること、4)議論できること、5)納得できること、以上のような要素が必要であろう。そして、これらの段階を短期間で超えていくために決定的な壁を用意する。それが言語の差異であろう。だからこそ、終えた後に参加した生徒から聞かれる「もっと英語ができるようになりたい。」という言葉には、この期間に経験した様々な思いが詰まっていると考えられるのである。

 

5.終わりに

幾ばくかの人数であっても、10代の頃にASEPのような企画に参加し外国の人たちと交流するという体験をできることは、彼らのアイデンティティの形成には何らかの影響を及ぼすはずである。また、その影響が他の者へと伝わっていくことが、学校という枠の中で参加することの長所であろうと思っている。友人やクラスメートといった身近な存在の行動こそ、他の生徒にとって大きな意味を持っている。経験したことを伝えていくことが、他の生徒にも新たな可能性を広げるのかもしれない。などと考え始めると、良い方面の想像は膨らむばかりである。しかしながら、このASEPというものは国ごとにその捉え方に大きな違いがあると推測できるため、純粋に良い面だけを取り上げるわけにはいかないであろう。その点には配慮せねばならない。ただ、生徒が少しでも多く様々な経験をする場を持てたらという観点からすると、私は教員としてそのような機会を若干でも生徒たちに与えられると良いと思う。私自身、このように考える機会を与えていただき非常に感謝している。ASEPに参加することで、私自身の視野はかなり広がった。ASEPというものの存在を知り、意義・長所・位置づけ・それらを批判的にも思考すること(critical thinking)、以上のようなことを考える良い機会となった。以後は、今回の体験を参加生徒とともに振り返り、全体または個別での還元の方法を思案しなければならない。そのためにも、まずは今回の5名と根岸氏の言葉の意図を考えていきたい。その先に、全体へのより良い還元の方法を見いだす必要がある。

終わりになりますが、再度、この場を借りて参加する場を与えていただいたことに感謝申し上げます。