「仕組まれた活動」から生まれるもの         立命館中学校高等学校 正頭 英和

 

「ASEPは仕組まれた活動である」  ASEPが大成功の内に閉幕したその夜、影戸先生からこの言葉を聞かせていただいた。この言葉が頭から離れない。

日本の英語教室には「ペアワーク」や「グループワーク」が全盛を迎えている。いわゆる体験学習と呼ばれるものである。文法を説明して問題を解かせる授業は終わり、いかにして生徒にコミュニケーション能力(聞く、話す)をつけるかということが注目され、大きな声で英語を話す授業が増えてきた。文法授業を否定はしないが、どんなものにもバランスがあり、それを欠いては授業の成功とはいえない。私は授業内にペアワークをたくさん取り入れている。そのことにたくさん時間を割いていると思うし、「体験」ということに主眼を置きながら授業を組み立てているつもりである。  

教員2年目にして気づいたことがある。いい授業とは「わかる」「できる」ようになることではないということ。いい授業とは「残る」ものであるということ。教師は生徒の心と頭にどれだけのメッセージを残せるかが重要なのだと思う。どんなに卓越した英語教師であっても、中学校3年間という短い時間では生徒は英語は話せるようにならない。きっと英語を話せるようになるのは、コツコツと英語を勉強し続けて、大学ぐらいで花開くものなのだろう。だから、1つ1つの授業の中でどれだけのものを残せるかということが大事なのだと思う。

心に残ったことは、一生忘れない。忘れないことは、いつか何かの形で花開く。 今回、立命館中学校高等学校から15名の生徒がASEPに参加した。結論から言うと、この15人全員が今回のASEPにおいて心に残る経験をした。そのうちのいくつかを紹介したい。 広がる世界  高雄高級中学校(以下、高雄男子)には、1人の日本人高校生が留学生としていた。スポーツクラスの生徒として留学していて、わずか15歳にして単身台湾に身を置いているのである。わずか15歳での決断。その決意と彼女の目を見たとき、私は自分の努力のうぬぼれを感じた。

この小さな女の子のどこにそのパワーがあるのだろうと感じた。しかし、私以上に彼女に心を動かされた生徒がいた。彼もまた同じ15歳である。「すげー」と言いながら、彼は彼女に歩み寄り、彼女のことを根掘り葉掘り聞いている。彼は「知りたい」と思い、行動に出た。「せっかくだから台湾の生徒と交流したら?」とは言わなかった。彼は自分の知らない世界を知り、自分の世界の小ささを経験したからである。彼は彼女と別れたあと、私を呼び、自分の感じたことを話し始めた。支離滅裂で何を言っているかわからなかったが、何を言いたいかはわかった。

「まだまだっスね」と最後に一言述べ、その後の彼は実に生き生きしていた。その次の日から彼はノートと辞書を携帯するようになった。プレゼン本番での彼の活躍は感動を覚えるほどであった。 育つ自立性  立命館においてASEPが導入されたのは3年前で、その当初から参加している生徒がいる。今年彼女は高校3年生になり、これが最後の参加となる。私自身は昨年からの参加になるので、ASEPにおける彼女の活躍を見るのは2回目なのだが、その成長は驚くに値するものであった。「頑張る!」が今年の彼女の口癖で、「私がやらなアカンやろ!」と何回も言っていた。高雄男子についてからの現地コラボレーションにおける彼女の動きは素晴らしかった。英語のレベルではなく、プレゼンのテクニックでもなく、その姿勢と意気込みが素晴らしかった。実はこの成長には歴史があり、彼女は昨年のASEPにおいて不完全燃焼の結果に終わってしまったのである。「もっと準備しておけばよかった」と繰り返していた記憶がある。彼女にとって「次こそは!」はもう言えない言葉。本気にならないといけない理由はこれだけで十分だった。台湾の生徒が主導で行われがちのASEPにおいて、彼女は主導権を握ろうとしていた。プレゼンをスキット仕立てにして、マイクを受け渡す順番を決め、細かい立ち位置、オーディエンスとのやり取りに至るまで彼女は全員に指示していた。これは彼女が過去3回のASEPとWYM参加の経験から得たものである。この彼女の姿勢に周りは動き始めた。「やらなきゃいけない!」という空気にした。

高雄男子のコンピューター室はもはや彼女のものであった。そこに私は必要なかった。プレゼンが終わり、緊張から開放された彼女は泣き、結果を聞いて泣き、高雄男子を去るときに泣き、帰ってきた京都駅で涙した。彼女の中に確かなものが残ったのだと思う。 「仕組まれた活動」かた生まれるもの 他にも書ききれないほどのドラマがあった。これが全て仕組まれた活動である、ということは私には驚きでしかない。計算というにはあまりも安易である。仕組まれた活動ではあるが、どのような経験をするかは生徒自身に委ねられ、その結果は教員の想像をはるかに超える。言い換えれば、こちらの想像を超えるようなことを仕組んでいるのである。「広がる世界」に「育つ自立性」。彼らはASEPの終わりに、確かのものが心に残った。心に残ったことは、一生忘れない。忘れないことは、いつか何かの形で花開く。それはテストでは測れず、すぐに花開くものでもなく、きっと「将来の財産」と呼ばれるものなのだろう。これが偶然でなく必然であるならば、ASEPは1つの小さな授業であると言える。