フィールドスタディとしてのASEP

東京国際大学国際関係学部

杉本篤史

atsubumi@tiu.ac.jp

 

フィールドスタディとはなにか

 筆者の所属する学部では、4年前からフィールドスタディプログラムを開発・実施している。これは、講義で学んだ「机上の知」を現場で運用可能な「体験的な知」に転換する学びの機会を学生に与えようという意図の下に立ち上げられた学習プログラムであり、モンゴル、パプアニューギニア等を活動現場として実施している。もちろん、いままでにも国内外の現場に学生を送り出す学習プログラムは存在した。ところが、せっかくのプログラムが思うように成果をあげられない事実を前にして、現場体験学習の意義とその大学教育における位置づけを再検討する必要が生じた。その結論の1つが本学の場合はフィールドスタディである。ではフィールドスタディとはなにか、なぜこのような学習プログラムが必要なのか、まずその点について筆者の状況認識を述べてみたい。

フィールドスタディの必要性は、まずなによりも本学学生の現状に基づいている。学生の大半に欠落していると思われるのが「抽象化力」であると筆者は考えている。具体的な個々の問題を抽象概念化して把握する力も、逆に抽象的な記述から具体的なシーンを的確に想起する力も残念ながら充分に鍛えられていない。だから講義等で得た知見や情報を自己の具体的な日常と繋げることができず、逆に身近な生活と海の向こうの出来事を繋げて考えることもできない。同様に明日の自分は想像できても1年後、5年後の自分を想像して長期的な行動計画を立案することができない。いずれも学生の怠惰や性格の所以ではなく「抽象化力」の低下にこそ原因がある。もちろん全ての学生がそうだという訳ではないが、本学の場合かなり成績評価の高い学生、あるいは学習意欲の強い学生でも「抽象化力」は驚くほど低い。このような学生に対しては、例えば「見学」を主体としたスタディツアーも「語学研修」を中心とした海外留学も、残念ながら充分な効果を期待することはできない。また「抽象化力」の低下は対人コミュニケーションにおいても深刻な問題を提起する。昨今流行っている言葉に「KY(空気が読めない)」があるが、これは端的には同質性の再確認行為を表象するものであり、「KY」に敏感で「空気の読める」若者ほど言語を介した他者との信頼醸成や説得が苦手であり、他者性が強く現れる異文化コミュニケーションの能力に至っては全くといってよいほど欠落している。言語を媒介せずに同質性の共感によってのみ成立する対人関係を超えて、異質な他者とコミュニケーションをとるには的確な言語化能力が必要であり、それを支えるのは「抽象化力」であると筆者は考えている。

もう1つ重要なことは大学教育におけるフィールドスタディの位置づけである。多くの大学では講義・座学が教育プログラムの中心であり、現場体験学習は補助的・付随的なものとして扱われてきた。しかし上述のような学生状況に鑑みれば、講義・座学にはもはや「抽象化力」の育成を期待することはできない。フィールドスタディのような現場体験学習は補助的・付随的ではなく主たる教育プログラムとして大学教育においても位置づけられなければならない。だからこそ、現場体験の意義に敏感な教員が主催する特別ゼミ活動等としてだけではなく、学部教育プログラムの中で正規に体験学習の機会を提供するカリキュラムが必要である。これにより体験学習プログラムに対する同僚教職員の理解を深めるというFD(Faculty Development)の効果も期待される。

本学で実施するフィールドスタディは上述の「抽象化力」の育成を第一の目標として、テーマに関わらず、全てのプログラムが下記の条件により運営されている。1)参加学生に幅広い学年や男女を取り混ぜ協働学習――学びあいと補いあい――をさせる。2)現場体験の前にテーマに関する徹底的な事前学習を協働学習の形で行う。3)講義とテーマの結びつきを常に意識させる。4)単に現場体験をするだけでなくなぜ現場体験をするのかを常に問い直させる。5)現場体験により「机上の知」の崩壊を体験させ事前学習で学んだことを「体験的な知」に再構成する機会を与える。6)意図的に能力を超えた課題を提示し失敗から学ばせる。7)指導教員はダメ出しと問題提起に徹して解答を与えない。8)現場体験をその後にどう繋げるのかを常に意識させる。9)体験後にその成果や反省点について言語化して報告する機会を与える(レポートや活動報告会など)。10)フィールドスタディの学習方法をゼミや他の活動等へと繋げていく(ヨコの繋がり)とともに過年度プログラム参加者と協働してタテの繋がりも形成させる。

この学習プログラムを通じて、自ら主体的に問題を発見・分析し、解決策を立案し、それを具体的に実践する一連の能力を学びとり、同時にコミュニケーション能力を高め、協働活動を主体的に展開できるようにし、講義・座学で個々人が学びとる意味を発見できる学生を育てることが我々の目標である。

 

フィールドスタディ型学習方法のASEPへの応用

 今回、筆者ははじめてASEPに参加したが、それは本プログラムに上述のフィールドスタディ実施条件が応用できるか否かを検証するためであった。これは昨夏のWYMへの参加から始めた試みである。そのために同僚の五十嵐准教授と相談し、従来、准教授のゼミ活動の一環として参加していた枠を外してもらい、広く関心のある学生を学年に関わらず募集してチーム編成を行い、筆者も初期段階から学生指導に加わった。筆者がWYMおよびASEPへの参加を通じて得た結論は、これらのプログラムが大きな可能性を秘めている――特に本学のフィールドスタディでは充分提供できない側面での体験的学習効果が期待できると同時に、ここで培った教育手法をフィールドスタディに応用・還元できる――ということである。

 WYM、ASEPともに「アジアにおける英語」が主要テーマの1つである。と同時に、異文化コミュニケーションの実践と研究テーマの言語化能力(プレゼンテーション)の涵養も重要なテーマである。言語化能力の涵養は上述のようにフィールドスタディでも重視しているが、前ニ者のテーマは、明らかにフィールドスタディでは充分に学習することができない。もちろん、モンゴルやパプアニューギニアでの体験を通じて自己の言語能力を一層高める必要性に気づく学生も多いが、WYM、ASEPはまさに実践しながらこの必要性意識を高めることができる。なんのために英語を学ぶのか?その答えに体験的にたどり着く機会を両プログラムは提供してくれる。またパートナー校とのインターネットを通じた事前のやり取りと現地での直接的コンタクトは、またとない異文化コミュニケーション実践の機会である。筆者としては本学フィールドスタディ参加学生をWYM、ASEPに、またWYM、ASEP参加学生を本学フィールドスタディに参加させて、その相乗効果についても今後検証してみたい。

 今回は初参加ということもありプログラム内容や意図を把握できず、充分に本学フィールドスタディの経験を活かした指導が行えなかった。また学生募集から始まり活動開始が遅くなり事前学習の期間、内容とも充分ではなかった。特にASEPではパートナー校との事前のやり取りがうまく進まないなど反省点も多くあった。それでも今回はWYMに参加した学生がASEPにも参加し、さらにまた次回のWYM、ASEPへの参加希望を表明している。これは本学からの参加学生としては初めてのことであり、両プログラムの本学教育活動における活用可能性を大いに示したといえる。いずれにしても上述のフィールドスタディ実施条件に照らし合わせて、五十嵐准教授と協力して両プログラムの事前学習・実践活動・事後学習を設計し、講義・ゼミ活動・フィールドスタディその他の体験型学習プログラムとの相互連関を形成し、さらに同僚教職員の理解と協力体制を整えることが、直ちに始めなければならない筆者の課題であると考えている。

 最後に余談であるが、筆者は今回ASEPに参加して、自身がサバイバルイングリッシュで様々な人々と交流する機会を得て「もっと英語を学びたい」と実感した。「学ばなければならない」ではなく「学びたい」と感じたのである。この感覚を参加学生にどうやって共有してもらうか、これも個人的な課題としてつけ加えておきたい。

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