目次

1 Objectives. 1

2. Lovely Smiles Enlighten Our Future. 3

4 出会った笑顔に心が動いた (はじめに)... 5

5 フィリピン研修 日程表... 6

6 学生感想 一歩前に進むために... 7

6-2 フィリピンを知る... 11

6-4 フィリピン ドマゲッティ、ダバオ研修を終えて... 17

6-5 笑顔の源... 20

House of joy、子どもたちの明るさはどこから来るのか?〜... 20

7 活動日記... 23

「マニラ到着」(2011211日:フィリピン1日目)... 23

マニラーードゥマゲッティーーシキホール島... 24

2011年2月12日(土)フィリピン研修2日目... 24

支援活動 トイレ建設 校長先生インタビュー... 26

「ミンダナオ国際大学への訪問」 (2月15日:フィリピン5日目)... 28

「シュノーケル体験」(2月16日:フィリピン6日目)... 30

MKD交流後House of joyへ」 (217日:フィリピン7日目)... 32

サンイシドロ高校   2月18日... 33

おお!!レチョン 食べると云うこと    219() 34

レチョン(豚の丸焼き) 34

ウラワビーチ... 34

バイバイバトバト... 35

食事を作る 20日... 36

8 フィリピン研修 フィールドワークU  2011,2,11-21. 39

国際福祉開発学部 影戸 誠... 39

影戸 活動メモ... 40

211日  名古屋からマニラへ... 40

212日 シキフォール島へ... 40

213日 ボランティア活動... 41

214日  イババオ小学校へ... 41

2月15日 ダバオ到着後 Mindanao Kokusai Daigaku へ... 42

216日 タリコット島へ... 44

2月17日 MKDで1年生のクラスに入り一緒に学習。... 44

2月18日 サンイシドロ高校... 45

219日(土) バイバイバトバト村調査... 46

レチョンを焼く ビーチへ... 48

20日 学習ノート作り... 49

21日 朝ダバオへ移動... 49

 


1 Objectives

 

1 While studying in the Philippines and being exposed to the natural setting there, we strived to find strategies for future suitable industries.

2 To research on how to improve volunteer work of setting up restrooms for each elementary school in Siquijor.

3 To research how to enhance service learning in Silliman University.

4 We, Japanese students studied volunteer work in Mindanao Kokusai Daigaku.

5 to Learn the efficient management system of orphanages at the House of Joy.

6 Village-visit ” Bye Bye Bato Bato” as a field of study regarding the poor in society.

7 To know how English works as a communication language.

 

 

 

目的

 

1 フィリピンの人柄、自然にふれ、今後の産業について考える

2 シキフォール島における、トイレ建設日本人ボランティア活動に学ぶ

3 シリマン大学のサービスラーニングに学ぶ

4 ミンダナオ国際大学(Mindanao Kokusai Daigaku)での日本語ボランティア活動

5 擁護施設ハウスオブジョイでのボランティア体験

6 貧困の村 バイバイバトバトの訪問調査

7 コミュニケーション言語として英語活用を体験する


2. Lovely Smiles Enlighten Our Future

Nihon Fukushi University

Faculty of International Welfare Development

                                   Rina YadaWakita,Tsuruta, Murai, Morita.

 

The growing desire to visit tropical islands gave us numerous expectations that this would enrich our life experiences. It will take 4 hours by plane from Japan to the Philippines, where in many ways we already feel close. I have a Filipino in my class who was born and raised in the Philippines and got Japanese nationality after they turned 20 years old. There are many Japanese – Filipinos in my prefecture due to the many industrial companies located there that employ them. Our faculty set the Philippines as one of the countries where students aimed to take part in overseas field study. After developing this original course into an integrated field of study that matched our interests, we designed the new overseas field work study by ourselves focusing on the following things. 

 

1 While studying in the Philippines and being exposed to the natural setting there, we strived to find strategies for future suitable industries.

2 To research on how to improve volunteer work of setting up restrooms for each elementary school in Siquijor.

3 To research how to enhance service learning in Silliman University.

4 We, Japanese students study volunteer work in Mindanao Kokusai Daigaku.

5 to Learn the efficient management system of orphanages at the House of Joy.

6 Village-visit ” Bye Bye Bato Bato” as a field of study regarding the poor in society.

7 To know how English works as a communication language.

 

We have completed 10 days of activities based on the educational course we designed. “Poor but happy.” the village people made confused us while we were considering what happiness is. We could learn a lot and we were moved by the bright smiles of children at the House of Joy. After witnessing the high Japanese conversation ability levels of students in M.K.D., we wondered how to proceed with our goals to improve our language competency.

 With the memory of our time in the Philippines still fresh in our minds, we are now heading into the final 2 years of our university life.

While editing this brochure, we would like to find a new direction so as to enlighten our future. Despite the fact that we are lucky to live in a country which is rich clean water and has an enormous power supply, we must not allow our rich environment to wash away our heightened awareness of human relations which we got through our experiences in the Philippines.

After coming back to Japan, the first thing I should do is to honestly cherish this memory with thanks to my papa, mama and my friends.


House of Joy       3.Photos

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子どもたちによる歓迎のダンス、笑顔で大歓迎

持参のバナーに書き込む

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食べるということ。レチョンをつくりました。

3時間かけて作り,おいしく頂きました。

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みんなの昼食カレー作り

心をこめて 皮むき 見えない愛を見える行動で

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あさ430分 清掃タイム

時間があるときは一緒に 勉強

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ノート作りの活動、シールを貼って、メッセージを

ゆっくりと 水牛にのって散歩

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施設のスタッフ、ウィリアムは優秀生徒表彰を受ける

 WYMにやがてはやってくるレナリン

 


ミンダナオ国際大学

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MKD日本語ラジオステーション

MKD1年生日本語授業見学

緊張!ラジオレコーディング体験!!

会話は自然、確かな学習成果

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バナーに書き込み。日本語頑張って!のメッセージ

グループに分かれロールプレイ「日本からの転校生」

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村井君、日本昔話「屁こき爺さん」収録!!

MKDの学生と近くの海へ(体験ダイブ)


イババオ小学校(シキフォール島)

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子どもたちお出迎え!!

6年生クラス訪問 

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絵具でバナー作成 折り紙も使って!!

みんなで大縄!!

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バナー完成!記念撮影!

日本から持参したお菓子プレゼント。

 


いい思い出が・・

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シキホール島 コテージ「ヴィラ・マーマリン」

エメラルドグリーンの海

絶好のロケーションの中で美味しい食事!!

フィリピンの海は珊瑚礁が豊富!!

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貧困の村、笑顔一杯のバイバイバトバト村訪問

 兄弟の面倒を見る

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SAN ISIDRO NATIONL HIGH SCHOOL

高校から支援に対して感謝状を受ける

 

 


4 出会った笑顔に心が動いた (はじめに)

 

国際福祉開発学部 2年生

                      矢田,脇田、鶴田、村井、森田

 

フィリピンは日本から4時間、近い国である。クラスの中にもフィリピンで生まれ、現在は日本国籍を取得している友人もいる。日系フィリピン人は特に愛知県は多い。

 私の学部は海外研修の一つとしてフィリピンを設定している。それらを発展させた形で、2年生である私たちは、国際フィールドワークに取り組んだ。その狙いは次の様なものである。

 

1 フィリピンの人柄、自然にふれ、今後の産業について考える。

2 シキフォール島における、トイレ建設日本人ボランティア活動に学ぶ

3 シリマン大学のサービスラーニングに学ぶ

4 ミンダナオ国際大学(Mindanao Kokusai Daigaku)での日本語ボランティア活動

5 擁護施設ハウスオブジョイでのボランティア体験

6 貧困の村 バイバイバトバトの訪問調査。

7 コミュニケーション言語として英語活用を体験する

 

これらの活動を10日間を通しておこなった。「貧しくはあるが、幸せそう」な村人に私たちは混乱している。また「明るく、楽しさ一杯でほほ笑む」ハウスオブジョイの子供たちに感動している。日本語を学ぶ大学生達のレベルの高さにふれ、学ぶ事について再度考えるようになった。

 国際フィールドワークに私たちは心動かされ、これから残り2年間の大学生活を迎えようとしている。

 ここにこの小冊子をまとめ、今後の大学での学び。活動の方向を探っていきたい。

 飲める水が勢いよく出、煌々と光る電気の下で生活する我々が、「語り合うことの幸せ感」を取り戻せるよう、記録して行きたい。

 

帰国して、まず最初に、今回の機会を与えてくれた家族に素直に感謝したいと思う。

 

 

5 フィリピン研修 日程表

 

 

午前

午後

備考

211日(金)

0930

名古屋‐マニラ

マニラ

 

 マニラ泊

12日(土)説明: 1IMGA0060.JPG

ドゥマゲッティ

シリマン大学

 

シキホール島

シリマン大学訪問

大学間交流

研修プログラム検討

原田先生

トイレ建設プロジェクトの話

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13日(日)

シキホール島

・島内巡り

・小学校、高校、大学訪問 プロジェクト説明

インタビュー 小学校長、中学校長

学校の先生など

(経済、教育など)

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14日(月)

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イババオ小学校

・交流

・バナー作り

シリマン大学

 

・授業見学

 

サービスラーニングについて講義

・大学施設見学

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15日(火)説明: 1CIMG2142.JPG

ミンダナオ国際大学

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MKD先生

・日本語授業手伝い

・バナー作り

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16日(水)

ミンダナオ国際大学説明: 1CIMG2099.JPG

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17日(木)

HO

・バナー作り

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18日(金)

House of Joy

バトバト村訪問

歓迎会

HOJ

19日 土曜日

House of Joy

ウラワビーチ

 

20

House of Joy

ゲーム大会

 ノート作り

・カレー作り

夜:お別れ会

 

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21日月

720ダバオ‐マニラ

1330 マニラ‐名古屋

 

 

説明: 1IMGA0040.JPG説明: 1DSC_0149.JPG

                          

 

 

 

 

6 学生感想 一歩前に進むために

 

               国際福祉開発学部

村井 達裕

 

²  211日〜12日:マニラ

²  212日〜14日:シキホール島

²  215日〜17日:ダバオ(ミンダナオ国際大学)

²  217日〜20日:House of Joy

²  まとめ

 

マニラ

説明: D:\pic\11PH\morita15-16\CIMG1852.JPG日本発の飛行機の離陸が雪によって遅れ、その影響でマニラからセブに飛ぶ飛行機に乗ることができなかった。当初の予定になかったマニラに滞在した。マニラは首都というだけあってとても発展しており、デパートなども日本に比べて遜色がないほど立派なものが建っていた。しかし、一歩外を歩いてみればストリートチルドレンに服を引かれ、彼らがその親とともに道路に横になっているのを目にする世界だ。彼らのほとんどが小学校などに通うこともできず、生涯を路上で過ごすという。きちんと教育を受けた者でも就職するのが大変な社会で、彼らが路上を脱することができる機会をつくるにはどうしたらいいのだろうか。

 

シキホール島

説明: D:\pic\11PH\morita15-16\CIMG1755.JPG 一日遅れて到着したシキホール島は海がとても青く、美しい島だった。首都のマニラと違い、物乞いをする人々はいなかったが、それでもみなが何不自由なく暮らしてるというわけではない。港に僅かな賃金のために働くポーターが大勢いたり、独裁政治の影響で支援を受けられる小学校と受けられない小学校に大きな差がつけられたりしていた。しかし、話を聞いてみると彼らはその生活に別段悲観しているわけではないそうだ。当然そんなことで自殺など考えもしない。彼らに比べ、私たち日本人は金銭的、生活レベル的に見れば遥かに豊かな生活をしている。それでも生活や金銭のことで自殺してしまう人もいる。ありきたりだが、貧困と豊かさというものについて考えさせられた。

 

ダバオ

 海に面した港町であるダバオは、フィリピンで3番目に大きな町だ。その港のすぐそばにあるミンダナオ国際大学には、日本語を学び、将来は日本に関わる仕事に就きたいと考える生徒が通っていた。彼らの日本語力は相当なもので、3年生にもなると私たちと日本語だけである程度の会話ができるようになっていた。

説明: 1CIMG2108.JPG説明: 1IMGA0050.JPG彼らの中には日系人の人たちもいた。彼らは、日本人の親類がいる、ということで日本に出稼ぎにも出られるので、比較的裕福な人もいるそうだ。しかし、中には日本人の父親がいるのだが、その父親は日本に家庭を持っているため世間体などを気にして親であること認めない、というケースもある。そういった家庭の母親は日本に出稼ぎに出ることもできず、厳しい生活を送ることになるそうだ。世間体というものは何人もの人を、それも血を分けた家族を虐げてまで守らなければならないものなのだろうか。まだ私が若く、社会を知らないだけなのだろうか。

 

House of Joy

 HoJのことは、烏山さんの講演と知り合いの体験談で軽く知っていた。実際に会った子供たちはとても元気で明るく、また一生懸命にコミュニケーションを取ろうとしてくれた。彼らが親元を離れて暮らしている、という事実は、実際に話を聞いた私でもあまり実感できなかった。滞在日数が短かったのもあるが、それ以上に彼らが微塵も闇を感じさせないほどに明るかった。子供とはもともとそういうもの、というのが私の考えだが、彼らの中にはHoJに来る前は笑顔も涙も無くただ無表情にその日を生きるだけだった子供もいるそうだ。彼らの明るさには、そういった過去への反動も混じっているのだろうか。明るく元気な子供たちに会える、ということは嬉しいが、次にHoJを訪れた時に新しい子供が増えていないことを願う。

 

・まとめ

今回の研修は、私が将来何をしたいのかと考える非常に良い機会だった。飛行機で5時間足らずの距離にある別世界、そこで暮らす人々、その生活など、様々なことに実際に触れることができ、また考える機会が持てた。特に、現地の人と実際に会話をすることの楽しさを学ぶことができたのは大きな収穫だった。私の語学の不勉強さで何度もうまく会話をすることができずに歯がゆい思いをしたが、本当にコミュニケーションを取ろうという気持ちがあれば、会話がうまくいかなくてもある程度は意思の疎通が取れるということも学べた。今後語学を学んでいく際、今回の研修でうまく言葉にできず歯がゆい思いをした場面を、意思の疎通ができたときの嬉しさを思い出しながら学習していきたい。

 


 

6-2 フィリピンを知る

国際福祉開発学部 国際福祉開発学科

2年 脇田ルイ

 

 今回私がフィリピン研修に参加したのは、日本以外のアジアの国の教育制度について知りたいと思ったため。そして、フィリピンという国の文化や人と触れ合うことで自分自身の世界に対する視野を少しでも広げることができると思ったためである。10日間という短い滞在ではあったが、いくつかの島や地域を訪問した。また、幼い子どもから大学生、小学校の教員から大学の教授まで、幅広い年代の人々と交流をすることができ、とても密度の濃い10日間になった。

 

フィリピンの教育制度

 

フィリピンの教育制度は現在、小学校6年間、高校4年間、大学4年間となっている。その中で、高校までが義務教育と定められているが、実際には経済的な状況が影響して、小学校を卒業できるのが全体の60%程である。年数や就学率など日本の教育制度とはかなり異なる部分が多々あるが、教員制度にも大きな違いがある。小学校の場合、日本では一定期間毎に教員の異動が行われるが、フィリピンではそれがない。そのため、教員はリタイアするまでずっと同じ学校で教え続ける。また、担任を受け持つ学年もほとんどの場合変わらない。私たちが話を聞いた高校の先生の話によると、彼の高校には生徒185人に対して教師が8人しかいないため、自分の専門分野以外の科目を教えなければならない。

 その他にも様々な問題を抱えているフィリピンの教育制度であるが、2012年からそのシステムが大きく変わる。現在4年間と定められている高校の課程が2年伸び、6年間になるのだ。このシステムはK12と呼ばれ、フィリピンの教育制度に大きな影響を与えるだろう。実際にこの変化について教員たちはどのように考えているのかを質問したところ、学習意欲の高いフィリピンの子どもたちにとって、学ぶ時間が増えるということはとても良いことであるということであった。しかしその反面、現在の4年制でも子どもたちの就学率が低いのに、さらに2年費用が余分にかかるというのは、フィリピンの一般家庭の生活に大きな影響を与えることになるだろう。フィリピンでは高校までは授業料は一切かからないものの、制服代やクラス備品のための学級費、そして教科者やノートなどの学用品に必要な費用は全て個人の負担になる。実際に現地の子どもたちと交流した私としては、少しでも多くの子どもたちにできるだけ多くの学習の機会を与えてほしい。また、いくつかの小学校や高校を見学して感じたのは、NGOなどの団体の援助によって建設された建物と政府の支援を受けて建設された建物とでは施設設備の状態にかなりの差がある。教師にとっても子どもたちにとっても何かを学ぶということには必ずその環境が大切になってくる。通う学校を自分たちで選択できない子どもたちのためだからこそ、多くの生徒に出来る限り平等な学習環境が提供されてほしい。

まだまだ完璧とは言いがたいフィリピンの教育制度だが、日本にも見習うべき部分もある。それは、英語教育である。日本では、2012年からようやく本格的に小学校での英語教育が始まるが、フィリピンでは早いところで幼稚園から英語教育を行っている。もちろん全員ではないが、幼い頃から英語を生活の中で自然に使ってきた彼らの英語はまさに生きる言葉である。家族を養うために海外に出稼ぎに行く人々にとって、英語を話せるということは働く場所が増えるということなのである。

 

感じたこと

  

今回の研修では、教育現場の他にも綺麗なサンゴ礁を見ることができるビーチやHOJという養護施設にも行った。私の中にはフィリピン=綺麗な海というイメージは今までまったく無かったのだが、実際に海で泳いでこんなにも素敵な場所があるのだと知った。フィリピン=貧しいというイメージを持つ人も多いかもしれないが、ビーチのような場所もあると知れば、フィリピンに対するイメージも変わるだろう。もちろん、観光名所ばかりでは、本当のフィリピンを知ることはできないが、今回は様々な場所を訪れたことで、それぞれ違う角度からフィリピンを知ることができた。HOJではたくさんの子どもたちと触れ合い、彼らの笑顔や涙からたくさんのことを学んだ。HOJには3日間の滞在であったが、子どもたちとビーチに行ったり、学校に行ったり、一緒に絵を描いたり様々なことをした。その中でも印象深いのはやはり子どもたちの明るさだろう。日本や、他の国でもたくさんの子どもたちと触れ合ってきたが、最初は心を開いてくれなかったり、恥ずかしがって話しかけても逃げてしまう子どもがたくさんいた。しかしHOJの子どもたちは初めて出会ったときから100パーセントの笑顔で迎えてくれた。私は初めて会った人を知るために、まず自分が心を開くことを大切にしていたが、HOJでは逆に子どもたちのおかげで私が心を開くことができた。最初はただ体を動かして遊んでいるだけだったが、休憩しながら色々な話をしていくうちに、だんだん家族のことも話してくれるようになった。笑顔の裏には子どもたちそれぞれに、辛い経験や思いがあるのだろう。だからこそ、無邪気な彼らの笑顔の中には大きな優しさがあふれているのだろう。私たち学生が作ったカレーを美味しそうに食べて、おかわりまでしてくれた。誰かのために料理をしてあんなに喜んでもらえたのは初めてだった。また、HOJの近くに位置するバイバイ・バトバト村にも行った。この村は海辺にあり、村人たちの生活を支えているのは主に漁業である。海岸に行くと、おばあちゃんらしき女性がたくさんの孫と一緒に貝を採っていた。この村に住んでいる家族のほとんどが同じ一族(親戚)らしい。ここの村の子どもたちは警戒してか、はじめはなかなか近寄ってこなかったが、覚えたてのたどたどしいビサヤ語で話しかけたら笑顔を見せてくれた。この村では毎日食べていくのが精いっぱいという貧しい暮らしであるが、毎日家族と一緒に過ごすことができる。貧しい暮らしでも家族と一緒なら幸せなのか。家族と離れ離れになっても仲間と一緒に毎日3食食べることが幸せなのか。子どもたちはどう思っているのだろう。今回の研修ではそこまで子どもたちの心に迫れなかったので、言葉に表すことができない思いもたくさんある。日本に戻った今から、自分の中で少しずつ消化していきたい。

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テキスト ボックス: HOJのスタッフ、子どもたちと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

6-3 たくさんつまったフィリピン研修

 

09NW0424 矢田里奈

 

²  雪に始まり

²  シキフォール島

²  ダバオ

²  ハウス・オブ・ジョイのこどもたち

 

雪に始まり

今回フィリピン研修に参加しようと思ったのはフィリピンを知るためだ。フィリピンがどんな場所で、どんな人がいて、その人たちがどのような生活をしているのかを知りたかった。そして自分の世界の知識を増やしていきたいと感じたからだ。もう一つの理由はHouse of Joyに行きたかったからだ。深い理由はなかったが、HOJの子どもたちに会ってみたいと思ったからだ。

今回の研修はハプニングからの幕開けだった。いきなり初日は雪による1時間半の遅れで、フィリピンの国内線の乗り継ぎに失敗した。その日はマニラで一泊することになった。初フィリピンだった私は都会のマニラは怖かった。とにかく道は車、バイク、トライシクル、ジープニー、人でいっぱいだった。車は日本のものがたくさん走っていた。近代的な建物が並んでいるかと思えば路地を見ると貧しそうな人たちが生活している。歩いていると子どもが何かくれと言って寄ってくる。鞄を引っ手繰られるのではないかと常に警戒していた。大きなモールに入ってしまえばそんな雰囲気はまったくなく、とてもきれいで、一日では回りきれないほどの大きさだった。飲食店も様々な店がそろっている。外の街とは全く別世界だった。

次の日は飛行機でドゥマゲッティに行き、そこからフェリーでシキホール島へ行った。前日に先生が飛行機を取ってくださった時に自分の分が取れなかったため、生徒5人だけでの移動となった。無事シキホール島まで到着したのだが、ここでまたハプニング。私たちは誰もフィリピンでのお金の価値を理解していなかったため、あっさりとポーターにたぶらかされた。迎えに来てくださったVilla Marmarineの原田さんにポーターに500ペソ払ったことを言うとそれは渡しすぎだと言われた。大体フィリピンの人は一日100ペソ稼いでいるという。その時初めて私たちはずいぶん大金をポーターに渡していたことに気付く。後で原田さんが200ペソ取り返してきてくださった。その時は皆たぶらかされたことに腹を立てていたが、今思えば研修序盤のこの経験があったからこそ、よりお金の価値を理解できたし、いい社会勉強にもなったと思う。

 

シキフォール島

シキホール島はマニラの雰囲気を全く感じなかった。都会と村とではこんなに雰囲気が違うのかと驚いた。村の人たちは本当にフレンドリーだった。原田さんという人物がその地域で知られていることもあったと思うが、車で道を走っているとみんなあいさつしてくる。特に子どもたちは大喜びだった。自然も多いし、人がのんびりと暮らしていた。海も日本とは比べものにならないくらいきれいだった。フィリピンはカトリックが多いため、教会もたくさんあった。都会と田舎の間には貧富の差だけではなくて、人柄や雰囲気の差もあるのだということを学んだ。

 

ダバオ

ダバオにあるミンダナオ国際大学大学も訪れた。この大学ではフィリピン人や日系人が日本語を勉強している。1年生と3年生のクラスに参加させてもらった。最初に3年生のクラスに参加した。先生は日本人で、説明も全部日本語で行われていた。皆きちんと理解していた。授業内容は「日本からの転校生」というテーマで劇を考えるというものだった。もちろん日本語の台詞を自分たちで考える。そして、私たちが各グループに日本人の転校生役として参加した。台詞を見させてもらったが、直す必要がないくらいだった。私たちが去り際に紙が配られていたのでそれも見させてもらった。ネットに載っている日本語のニュースだった。当たり前のように漢字が使われている。1年生のクラスでは私たちが各グループに入って、インタビューを受けた。ゆっくり簡単な言葉で話せばほとんど日本語だけでも会話ができる。わからない時は英語で話した。ついでに使っている教科書も見させてもらった。もう簡単な漢字の勉強が始まっていた。ちなみに1年生では138個の常用漢字を習うそうだ。普段の日本語の授業の様子がとても気になった。どのような授業をすれば3年生までにあそこまで日本語が上達するのかとても気になった。と同時に日本語だけでなく、英語もなぜあんなに完璧なのか不思議だった。確かに日本はフィリピンに比べたら英語を習い始めるのが遅いが、なぜこんなに差が出るのだろうと思った。こちらの勉強方法を取り入れたら日本でだってもっと英語の上達が早くなるのではないのだろうか。

 

ハウス・オブ・ジョイのこどもたち

最後の3日間はHouse of Joyで過ごした。子どもたちは私たちを温かく迎え入れてくれた。皆本当に素直で優しくてやんちゃで可愛くて明るい子ばかりだった。HOJでは子どもたちがしっかり手伝いや掃除をしていた。お互い協力し合って生活しているということを深く感じた。

みんなが通っている小学校へ行ったら手を引っ張って案内してくれた。小学校の先生の一人は私たちと同じ20歳だった。同じ20歳なのに彼女は先生という立場で、私たちはまだ学生という立場でなんだか不思議な気分だった。近くには障がいのある生徒用の小学校があった。実際に授業を見たわけではないから何とも言えないが、点字のアルファベットの書いた紙が教室に貼られていたり、点字の本があったり、障がいのある子たちにもしっかり教育が行われているのかなと感じた。

HOJにいた3日間の子どもたちの全ての行為がうれしかった。元気にダンスや歌を歌ってくれた子どもたちそれぞれに色々な過去があるのだと思うと本当に涙が出た。最後の日に少しだけ自分の家族のことを話してくれた子たちもいて、やっと仲良くなり始めた時の別れで本当に残念だった。また皆の笑顔を見るために絶対にフィリピンへ行こうと思う。それまでに自分も成長しなければならないなと思わせられる研修だった。


 

6-4 フィリピン ドマゲッティ、ダバオ研修を終えて

 

国際福祉開発学部 2

鶴田 愛弓

 

学ぶ権利

貧しさの中の豊かさ

 

 

説明: 説明: G:\DCIM\100CASIO\CIMG3268.JPGミンダナそしてオシキフォール島

今回フィリピンに訪れるのは2回目だった。去年はマニラでの研修がメインだったが今回は、ミンダナオ島やシキフォール島など都市部と離れた地域に訪れることが出来た。今回の研修は毎日様々なことを学び、知り、その度に気づかされたこと、疑問に思うことが多くあり、悩むことが沢山あった。大きく分けると2つある。

まず1つ目は、子供には学ぶ権利があるということだ。シキフォール島を訪れた際に現地の小学校を周ったり、実際に小学校の子供たちと交流をする機会があった。小学校の校長先生とは前日にお話を伺うことができ、フィリピンの教育制度についてや、学校の先生の給料など現状について知った。学校の先生の給料は1ヶ月10000ペソで決して高くはないという。それでもこの地域の先生は毎日子供たちのために頑張って指導している。しかし、教室内のトイレが綺麗にされているが、外に設置されているトイレの衛生環境は悪く、細かい指導はされていなかった。小学校は地域ごとにあり、シキフォール島だけでも63校あるという。そのうち、身体障がい者などに対応できる学校2校だけという。学校に通っている子供は沢山いる。しかし、家庭の生活が優先になってしまったり、学校で必要な道具が買えなくて通えなくなってしまっている子も少なくない。そんな子供たちを支援するため私たちの訪れたイババオ小学校では日本やフランスからの援助があるという。私たちが訪れたイババオ小学校では、一緒にバナー作りをした。学校全体で出迎えてくれて子供たちの無邪気な笑顔に自然と自分も笑顔になれた。6年生と協力してバナーを作り、全校生徒で写真撮影、みんなで遊ぶ。時間はとても短かったが、子供たちは積極的に話しかけてきてくれたり、教えた日本語を話してくれたり、本当に可愛らしかった。私たちがいた時間はほんのちょっとでいつかは忘れられてしまうかもしれないけれど、子供たちの素直さと、笑顔はいつまでもなくさないでほしいと心から思った。

 

フィリピンの教育制度や、現状については難しいことばかりで、課題は山積みだと思う。進学したくても家庭の貧しさのために、行けなくなる子供、学ぶ機会すら与えられない子供、生まれた国や、家庭の状況で学ぶことができない子供がいてはならないと強く思った。こういった中でも、原田さんをはじめ、色々な人達が寄付や、支援という形で子供たちを支えている。学校の先生も子供たちの為に日々、勉強に励み子供たちを想って指導している。もちろんイババオ小学校に限ったことではない。こんな人達がいて、厳しくとも何とか現状が保たれている。この形が続く一方で、国や政府がもっと力を注いでくれるような国になってほしいと思った。イババオ小学校に訪問できたことは本当にいい経験だった。こういった機会を設けてくれた先生方に感謝だ。また、子供たちと一緒に過ごすことで、自分は子供が好きで、彼らからもの凄いパワーをもらえていることに気付かせてくれた。それはイババオ小学校の子供たちに限らず、今回の研修で関わった子供たち全てに言えることである。それを気づかせてくれたみんなには本当に感謝だ。

 

貧しさの中の豊かさ

説明: 説明: G:\DCIM\100CASIO\CIMG3063.JPG 説明: 説明: G:\DCIM\100CASIO\CIMG3364.JPG

2つ目は、貧困とは何か?ということだ。今回は都市部から離れ、その日の生活もやっとな地域に入って現状を知る機会が沢山あった。貧困と聞くとイメージではやはり、生活も貧しかったら笑顔はもちろん、前向きに生きていくことは出来ていないのではないかという考えだった。しかし、それはただの自分の先入観で、現地の人からすれば、とても失礼な話であった。私たちが訪れた地域で暮らす人々は、確かに経済的には貧しかった。しかし、その表情からは貧しさは微塵も感じられず、むしろみんな明るく、経済的に貧しいからと言って暗い気持ちになっている人は一人もいなかった。現地の人達からすれば、それは当り前のことで、勝手に私たちが決めつけているだけの様に思えた。自分はこの現状を知り、何ができるのか分からなくなった。お金や物を与えることは金額や条件を決めなければ誰にだってできることである。確かにそれも一つの支援のやり方だと思う。しかし、私が見た現地の人たちはそういった支援を望んでいるようには思えなかった。むしろ、支援してほしいといった感じはどこにもなかった。私たちが勝手に、貧しいから支援しなきゃ、何か与えてやらなきゃと決めつけているように思う。そう気付いた私は、自分は何がしたいのか、何が出来るのは分からなくなり、考えれば考えるだけ混乱した。しかし、少しだけでも整理できたことがある。それは、自分が現地に入ってまずは現状や、その地域の人の暮らしや、日常を知り、何を必要としているのか見極めることが大切だと思った。現地の状況を全く知らず、地域の人達との交流もないまま何かを支援することはできない。私はそう気付きました。そこから、自分のアプローチの仕方を見つけていくことが次のステップにつながると思う。それが、教育なのか産業や開発などかは分からないが、それは自分が必要とされる関係づくりをきずいてからだと思う。

今はまだ、自分は学ぶことばかりで未熟なことばかりだが、今回の研修で沢山しり、悩んだことは一つも無駄にならなかったことは確かだ。研修に関わってくださった方全員に感謝だ。

 


6-5 笑顔の源

House of joy、子どもたちの明るさはどこから来るのか?〜

国際福祉開発学部 国際福祉開発学科

森田 充祐樹

説明: CIMG2976

1. はじめに

2. 学び、感じたこと

3. 最後に

 

1. はじめに

 私は、今回のフィリピン研修で沢山の人と出会った。その一つ一つの出会いから、学んだこと、感じたこと、考えたことがあり、様々な経験をさせてもらった。ここでは、その出会いの中で特に強く自分の心に響き、自分なりによく考えたことを記していきたいと思う。

 

2. 学び、感じたこと

 訪問した孤児院「House of joy」の子どもたちはものすごく元気で明るかった。引率の影戸先生のお話からも、「子どもの明るさはどこから来るのか?」ということが私たち学生に向け話されていて、なぜHouse of joyの子どもたちはあんなに明るいのか?ということを考えながら過ごした。

どんな子どもも、明るく元気が良いのに何の悪いことはない。子どもは元気で明るく純粋だ。私もまだ幼い子どもの頃は、外で元気に走り回って遊ぶのが大好きで、よく友達と鬼ごっこや球技をして遊んでばかりだった。きっとどんな人も純粋に遊びを楽しむ子ども時代を過ごすだろう。しかしHouse of joyの子どもたちは、私や一緒に来た他の学生の子どもの頃に置かれていた状況や環境とは全く違う。大きく違うのは、孤児院という言葉から誰もが連想出来るように、貧しさなどから両親や家族と共に暮らすことが出来ず、親と離れて生活していることだ。まだまだ小さな子どもにとって、親がいないことや離れて暮らすということはとても寂しく、つらい事だと思うし、離れて暮らすことの理解に苦しむ子だっている。私の子どもの頃に置き換えると、両親がいる中で育てられ、いつも家族が待つ家に帰ることが出来る中で、ごく普通に生活出来ていた。親、家族がいるのが当たり前で、親の愛情をもらいながら今の自分まで成長してきた。けれども、House of joyの子どもたちは十分に親の愛情を受け取れない状況にあるのだ。私は、親や家族の愛情を沢山受け取りながら育てられるはずの子どもの時期に、親の愛を感じられないというのは非常につらく、寂しくて悲しいし普通なら元気もなくなるだろうと思う。そういった状況を考えるだけで胸が痛くなる。

そんな、私たちの想像を遥かに超えるつらい過去を背負った子どもたちがHouse of joyに集まり暮らしているが、子どもたちは私たちが訪問してくると大歓迎で出迎えてくれ、強烈なほど元気で私たちが子どもから元気パワーをもらえた。そして、House of joyのみんなはとても親切で優しいし、気遣いの出来る子ばかりだ。ろくに英語や現地のビサヤ語も話せない私に対しても最後まで本当に親切に接してくれたし、丁寧にビサヤ語のノートまで私なんかの為に作ってくれた。温かい歓迎の気持ちが伝わってきたし、なんだか本当に私たちが元気をもらったしいろいろな意味で私が成長させてもらった。そして、House of joyの子どもみんながすごく和気藹々と仲が良く、11人がお互いに大切な仲間としてみているのがよく分かるし、上は高校生、下は34歳と年齢の幅が広いけれど上の子は下の子にしっかり世話するし、年齢関係なく一つの大家族のようにわいわい盛り上がれているのがほんとに良い雰囲気だと感じた。似たような経験をしてやって来た者同士、お互いの気持ちもよく分かり、つらい思いを共有する事で自分の気持ちも楽になり、一緒に生活することになった仲間を大切にしようとし、いつも仲間がそばにいることで毎日楽しく笑って過ごせるのだと思う。私たちのようなビジターが来た時もそうで、来てくれた人みんな友達になり、よく気遣ってくれて人を大切にしてくれる。子どもたちにとってはHouse of joyのみんなが家族みたいなもので、きっと遊びに来てくれたビジターも家族の一員に近い存在にしてくれる勢いで歓迎をしてくれ、名前を忘れない永遠の友達として大切な関係を築いていくのだろう。幼い頃から親元を離れるというつらい経験をしてきた子どもたちは普通の子どもより強くたくましいと思うし、大切に思う人の事を大事にする気持ちは人1倍強いのだろう。

このフィリピン研修中、House of joyをはじめ、訪問した大学や小学校などで出会った人によく聞かれた質問が「家族は何人?」「兄弟は?」である。フィリピン人は家族を本当に大切にし、仕事は家族の為にして頑張って稼ぐという考え方で、休日は家族で遊びに出掛けるというように家族愛が強い。もう一つフィリピン人の特徴としては、明るく前向きな所だ。道で出会う人に「Hello!!」と挨拶すると、100%笑顔で返事を返してくれる。こちらからばかりではなく向こうからも挨拶をしてくる。今の日本にはない、フィリピン人の社交的な人柄が分かる。そしてフィリピン人の前向きさはほんとにすごい。例えばフィリピンには貯金の習慣がなく、あるお金はすぐに使ってしまう考えであるそうだ。お金がなくても今を楽しむのだという気持ちでたとえ借金が出来ても気にしない。日本なら「どれだけ自殺者が出てくるのか」と現地でお世話になった日本人のシンさんがおっしゃっていた。House of joyのみんなも同じことで、家族(=House of joyのみんな)を愛し、どんなにつらくても貧しくても明るく前向きに過ごす。もうどんな事が起きても笑顔とみんながいればなんでも乗り越えられるだろう。

子どもたちは沢山の支援のおかげで服を着ることが出来るし、毎日3食食べられる。子どもたちの家であるHouse of joyを運営していくには支援が必要であって、私たちのようなビジターの滞在費も運営費になるし、日本からでも衣類などの物資を送るなど出来ることはある。しっかりとした衣食住の環境があるのも子どもたちが楽しく生活出来る大切な基盤でそこから笑顔が生まれる。実際に行って本当に支援すべき物は分かったつもりなので、これからみんなで協力して活動していきたいと思う。

 

3.最後に

いつかどんな子どもたちも両親と幸せに暮らせるようにフィリピンという国が豊かになることを願うし、自分でも出来ることをしていきたいが、誰かの為に尽くすためにはまず自分の力を付けないといけない。今、大学で英語を勉強している意味というものが明確なものになった研修でもある。そしてこの研修で出会った人、影戸先生、一緒に行った学生の皆さんに感謝したいと思う。私も子どもたちの様に日本で頑張って、またHouse of  joyへ訪問したい。

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7 活動日記

 

「マニラ到着」(2011211日:フィリピン1日目)

文責:脇田

 

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Ø  雪が。。。。

Ø  マニラの街

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説明: 説明: D:\DCIM\100CASIO\CIMG1467.JPG

07:30  中部国際空港集合

10:40  中部国際空港発

14:30  マニラ到着

17:00  ホテル到着                                                      

18:30   夕食

19:30  買い物

20:30  ホテルへ

 

 

波乱の幕開け

朝7時30分の集合に誰も遅刻することなく集まることができた。しかし、思いがけない猛吹雪により、飛行機は定刻よりも1時間弱遅れての出発になった。

 そのため、マニラからドマゲッティまでのフィリピン国内線の出発時間に間に合わず、急遽マニラに1泊することになった。突然のことだったので、ホテルを予約していたわけもなく、影戸先生と学生で街を歩き、空いているホテルを探した。

フィリピンはとにかく蒸し暑いというのが最初の印象。日本を出るときは、−1℃だったのだが、フィリピンは31℃。体がなかなか順応してくれなかった。

 マニラは自分が予想していた以上に発展していて、高層ビルがたくさん建っておりかなり驚いた。日本料理店や焼き肉屋が多くみられ、現地の人も気さくに話しかけてくれる。

 

マニラの町並みと格差

夜は、ホテル近くの巨大ショッピングモール内で食事をして、その後モール内を散策してホテルへ戻った。ショッピングモールは非常に大きく、(4階建て)食品からブランド店まで多くの種類の店舗が入っており、日本の巨大ショッピングモールとよく似ていた。

ここの、ショッピングモールで働く人たちの給料は、1日約200ペソ(およそ400円)らしい。ショッピングモールで優雅に買い物をする人もたくさんいるが、モールから1歩出ると、路上には子供が寝ていたり、小さな子供がお金をせがんでくる。他の東南アジアと同じように人々の暮らしの中に大きな格差を感じた。明日からは島に向かうので、そこでまた自分たちが何を学び感じるのか楽しみである。

予想外な幕開けではあったが、もともとのスケジュールでは不可能だった、マニラの町並みや雰囲気を知ることができて、結果的にはよかったと思う。

 

 

 

 

マニラーードゥマゲッティーーシキホール島

2011年2月12日(土)フィリピン研修2日目

文責:森田

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Ø  Dumaguete

Ø  美しいシキフォール島

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500 ROTHMAN HOTEL出発        説明: 説明: D:\DCIM\100CASIO\CIMG1493.JPG

705 マニラ空港発 

800 ドゥマゲッティ着

10:15  ドゥマゲッティ港発

11:15 シキホール島ビラ・マリーン着

1200 昼食1300 自由時間(睡眠、シュノーケリング、テニス)

1800 夕食

2030 影戸先生お出迎え

2100 原田さんとお話

 

朝、予定通り5時にホテルを出発し、チケットを入手出来なかった為、影戸先生と一度別れ学生5人で飛行機、船を乗り継ぎシキホール島を目指した。

ドゥマゲッティの港まではスムーズに行くことが出来たが、船に乗ってから荷物代や荷物の運び出し代を現地のポーターに請求された。タガログ語と英語を少し混ぜながら「500ペソ、500ペソ」などと一方的に話しかけてきたため自分たちも言葉が分からない事もあり、どう行動すれば分からず払わなければ荷物を返してくれなさそうな雰囲気に流され請求された荷物代と荷物の運び出し代各500ペソずつ払ってしまった。

500ペソは現地のデパート店員の3日分の給料であるそうだ。高額な請求と周りの状況から怪しいと感じていたものの断り方も分からなかったのでポーターを振り切ることが出来なかった。後でビラ・マリーンの原田さんに状況を説明したらおかしいことを言ってくださりポーターから300ペソも取り返しに行っていただいた。原田さんや原田さんの奥さんに影戸先生のお話によると、そういったお金を払ってしまうのは日本人だけだそうで、ヨーロピアンや韓国人は絶対に払わないそうだ。今回は完全に自分たちが狙われて、相手の狙い通りにお金を取られてしまい悔しい思いをしたが、これでみんな学ぶことが出来たし、またその状況になっても同じ過ちは起こさないと思うので、今回はこれを経験出来て良かったと思う。

そんなハプニングもありながら、目的地であるビラ・マリーンに到着した。

本当に落ち着いた場所で、目の前に広がる綺麗な海を見ながらみんなで食事をしたり社交的で優しい従業員の方と交流したり、海やテニスで遊んだり部屋でのんびりするなどして楽しく過ごした。すごくトロピカルな雰囲気で安らぎを求めるなら持ってこいの場所だと感じた。みんな優しく温かく接していただきすごく楽しくありがたいと思った。

明日も島内観光にシュノーケリング、ホタル見学ツアーなど、楽しみばかりだ。

 

この島で原田さんはトイレ建設、現地学生への奨学金など多様な活動をしている。支援の気持ちがどのように具体化され、マネジメントされているのか滞在中に是非お聞きしたいと思う。


支援活動 トイレ建設 校長先生インタビュー

 213() フィリピン研修3日目

文責・村井

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Ø     小学校見学

Ø     シュノーケリング

Ø     小学校の先生へのインタビュー

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800 朝食・ミーティング

930 出発

1000 島内観光・小学校見学

1300 昼食

1400 シュノーケリング

1530 撤収

1830 夕食・ミーティング

1915 近隣の小学校の校長にインタビュー

2100 ホタルツアー

 

 7時半に起床し、8時から朝食をとりつつミーティングを行う。軽く一日の予定を確認し、一旦解散した後、930に再集合して出発した。

出発してから20分ほど車に乗り、原田さんや日本のローカルクラブなどがトイレを寄贈したサン・アントニオ小学校に着く。トイレはきちんと使用方法などが指導されていないのか、寄贈されてから1年程度とは思えないほど汚れていた。また、この小学校は郡長に支援されていないため学校全体もボロボロで、海外NGOなどの支援によってなんとか持っている状態だった。見学後、車に15分ほど乗って30代の男性が校長を務めるO小学校に向かった。この小学校は先の学校とは対照的に郡長の支援を受けている地域にあるため、設備はきれいで学内に購買まであった。ほんのわずかしか離れていない2つの地域に、これほどに差がついている現状を作り出している独裁は、一体いつまで続くのだろうか。

その後、トイレが寄贈されたもう1つの小学校(サンクララン小学校)を軽く見学し、滝へ向かった。滝は、普段は綺麗なグリーンの水らしいが、先日の雨によって泥水に変わっていた。泥水に飛び込む趣味はないので車に戻り、アジア1古いという宗教学校や市場を見学し、13時過ぎ頃に目的地のビーチに着いた。ビーチは入場料を取っているが、その分綺麗で設備もしっかりしていた。ビーチにあったレストランのメニューはマニラに比べると格段に安いのが印象的だった。そこで昼食を取り14時から1時間半に渡って各自でシュノーケリングを楽しんだ。

原田さんがテニスの試合を控えていたため、少し早めの15時半に帰路に着く。道中、試合会場のある大学に立ち寄り、16時半にホテルに戻った。19時に近隣の小学校の校長先生が4人やってきてくれるので、少し早めの18時に夕食兼ミーティングを行った。夕食中にイババオ小学校の校長先生がいらっしゃり、19時少し過ぎくらいからインタビューを行った。インタビューを始めてしばらくしてから、もう1人の校長先生がいらしたので彼を交えてそのまま続けられた。2人ともとても若い方だった。質問内容はフィリピンの教育などについてで、すべて英語で行った。インタビューの内容については別にまとめられる予定なのでここでは割愛する。インタビュー後、影戸先生、村井を除く4人はホタル見学に行った。小学校訪問やインタビューなど、研修旅行らしい一日だった。明日は午前中にイババオ小学校を訪問し、午後からは移動を行う予定だ。

 

 

 


「ミンダナオ国際大学への訪問」 (2月15日:フィリピン5日目)

文責:矢田

 

テキスト ボックス: Ø	ダバオへ向かう
Ø	ミンダナオ国際大学訪問・日本語授業見学
 

 

 

 

 

 


スケジュール

5:00 セブ島にフェリー到着

11:00 セブ島 空港発

12:00 ダバオ着

12:30 ホテル着

13:30 昼食

14:00 ミンダナオ国際大学 授業見学・参加

18:00 夕食

 

ダバオへ向かう

フェリーの中ではクーラーのついた室内のベッドを影戸先生がとってくださった。クーラーの温度は16度にまで下げられていたが、割と快適に過ごすことができた。朝ダバオに到着し、起きるとすでにベッドの横でポーターが待機していた。今度こそは「ノー」と言って持っていかれるのを防ぐことができた。自分なりに少し成長したつもり。

かなり早く空港に着き、喫茶店的な店で朝食をとった。残りの時間はお土産を見て過ごした。驚いたことは飛行機のゲートに無料でパソコンが使えるスペースが設けられていたこと。しかもネットもつながっていた。なぜただでネットが使えるスペースが設けられるのか疑問に思った。飛行機は順調に飛び、50分ほどでダバオに到着。

今までの中で一番高価なホテルMicrotelでチェックインをし、荷物をおいてお風呂に入る暇もなく昼食へ。昼食はフィリピンで初マクドナルドを体験。味は日本と変わらないように感じた。

 

ミンダナオ国際大学訪問・日本語授業見学

その後急いでミンダナオ国際大学(MKD)を訪問。最初に先生たちのいる職員室的なところへ案内された。その後、学長のところへ。フィリピン人だったが、日本語はペラペラで、言葉づかいもきれいだった。それから3年生のクラスに見学・参加させてもらった。3年も日本語を勉強しているだけの成果がしっかり見られた。みんな先生が話す日本語を普通に理解していた。授業内容は「転校生がいじめられる」というシチュエーションで短い劇を考えるというものだった。クラスが5グループに分かれていて、1グループに一人私たちが入って、お互いの自己紹介、台詞確認、それをみんなの前で発表するというものだった。私たちは皆いじめられる転校生役をやった。どのグループも日本語がしっかりしていたし、演技も入り込んでやっていてよかった。クラスの雰囲気はとても明るくて楽しそうだった。日本の大学と違うな、と感じたのは皆、制服を着ていたことだ。制服を着ていると皆高校生のように見えて、自分より若いように感じたが、実際はほとんど変わらなかった。帰り際に紙が配られていたので、それを見せてもらうとインターネットに載っている日本語で書かれたニュースの記事だった。もちろん漢字もたくさん使われていた。そこで本当にハイレベルなことをやっているな、と実感した。

 

その後はMKDで収録している日本語ラジオの見学をさせてもらった。一回45分で、日本語教育を目的としたこのラジオプログラムは日本語、英語、現地語が用いられている。内容は先生同士の対談(日本語もまじえながら)、昔話の朗読(現地語の通訳あり)、日本語と現地語をコラボさせた曲など。ラジオのDJをやっているのは皆、自分から申し出た生徒ばかり。メインで活動している生徒二人以外はお金は支払われていないとのこと。ちなみに放送権は月に3万円払っている。そこでむこうの先生からぜひラジオ録音に参加してほしいとのお誘いがあったので、私たちはDJの子と一緒に歌を歌うことに。曲はアンジェラ・アキの「手紙〜15の君へ〜」。その後は村井くんによる昔話の朗読が行われた。

夜はMKDの三宅さん、長谷川さん、House of Joyの澤村さん、MKDの1年生4名とスペイン料理屋で食事をとった。いろいろな話がきけるいいチャンスだった。そこで聞いた言葉で印象に残っているのは「夢は人にしゃべるべきだ」と「自分はお金で仕事を選ぶのをやめた」という言葉だ。この言葉たちはきっと自分の中でこれからもずっと残り続ける言葉に思えてならない。

海外で会う日本人は本当にいろいろな考え方や経歴を持った人が多くて面白い。これからもその出会いを大切にして、いろいろなことを学んでいきたい。

 

「シュノーケル体験」(2月16日:フィリピン6日目)

文責:脇田

 

テキスト ボックス: Ø	フィリピンの海洋資源

Ø	もう一度 目的を確認
 

 

 

 

 


説明: 説明: CIMG2023.JPG

7:30 ホテル出発

9:00 シュノーケル開始

12:00 昼食

12:45 シュノーケル

16:30 ホテル到着

18:00 烏山さん、澤村さんと夕食

19:00 ホテル

 

フィリピンの海洋資源

今日は、一日の大半を海の上で過ごした。船上はとても快適で、海風がとても気持ちよかった。シュノーケルだけの予定が、ありがたいことに体験でスキューバダイビングをさせてもらえることになり。影戸先生、鶴田、矢田、脇田が体験した。海の中は、TVを見ているような感覚で、最初は実際に自分が潜っているという感覚がしなかった。魚の群れや小さなサメ、クマノミも見ることができた。フィリピンでは日本の海でスキューバダイビングの体験をする場合の約10分の1程度の値段で体験ができる。さらに、ライセンスも日本に比べて、かなり安くしかも簡単に取得できるとのこと。これはお得!!

 

学生との交流

MKDの4人の学生も皆、とても楽しそうだった。昨日の夕食のときは、お互い緊張してなかなか上手くコミュニケーションを取ることができなかったが、今日はみんなリラックスして、一緒に歌を歌ったり、お互いの生活について話すことができた。澤村さんの笛や、船の中で流れるラジオなど、やはり音楽から感じる気持ちは世界共通だと思った。船員はしっかりした学歴を持っている人ばかりではなく、そんなに英語を話せるわけではない、しかし、船の操作はまさに職人技だった。給料は決して高いものではないと思うが、みんな仕事をしながら談笑したり、踊ったりとても楽しそうに見えた。自分たちのような外国人と少しでも交流ができる船の仕事は彼らにとって、外の世界を知るひとつのきっかけなのではないだろうか。

 

感謝の気持ち

 海から戻り、HOJの烏山さんと澤村さんの一緒にマグロ料理のお店で夕食をとった。マグロの喉や、頬、卵など日本ではなかなか口にすることのできない珍味を食べることができた。また、食事の途中にムスリムのお祈りであるコーランを聞くことができた。フィリピンに来て、一番異国情緒を感じた瞬間だった。また、フィリピンの特産品で、果物の王様といわれるドリアンにも挑戦した。本物のドリアンは、見た目もにおいも味も強烈で完敗だった。

 

 フィリピンに来て今日まで、本当にたくさんの人に出会い、お世話になってきた。旅を続けているとそれが当たり前になって、感謝の気持ちが薄れてきてしまうような気がする。

 感謝の気持ちを忘れてしまっては、フィリピンの文化を学ぶこともおろか、人間関係を築くこともできないと思う。明日から、研修は後半に入るが、もう一度自分たちが、フィリピンに来た目的を確認して、意味のある毎日を過ごしていきたい。 また、現地で働く日本の方にもたくさんお話を聞く機会があるが、それも自分たちの将来にとってとても有益な情報を得る貴重なチャンスだと思う。いろいろなことを吸収して自分の肥やしにしよう。


 

MKD交流後House of joyへ」 (217日:フィリピン7日目)  

テキスト ボックス: Ø	日本語授業見学  
Ø	House of Joy(擁護施設へ)
文責 森田あゆき

 

 

 

スケジュール

:30  起床

10:15 Microtelホテル出発

10:30 ミンダナオ国際大学交流

授業見学 バナーづくり

13:40 Hose of joyへ出発

16:00 Hose of joy到着

19:00 welcome activity

19:30 子どもたちと自由に交流

 

日本語授業見学

ミンダナオ国際大学での授業見学では1年生の日本語の授業を見させてもらった。日本語の勉強を始めて6ヶ月の学生だ。授業ではほとんど日本語が使われていて、初めに挨拶と出席確認を行っていた。そして今日の授業テーマは他己紹介で、見学に来た日福学生5人にグループごとでインタビューして他己紹介できるようにするというものだ。インタビューで聞かれた内容は、名前、年齢、生年月日、大学名、学科名、趣味、家族について、夢、日本語勉強のアドバイス、好きな食べ物、好きなこと、フィリピンにいつからいつまでいるか?などだ。MKDの学生たちは難しい日本語に苦戦しながらやっていた。インタビューを受けながら学生とかなり交流ができた。最後の発表はみんなかなり盛り上がっていた。

バナーづくりは絵の具がなかったので文字の中のスペースに何語でもよいので名前を書いてもらい、周りには自分たちのメッセージと名前を書くことにした。メッセージには少しだけ難しめな日本語を使う工夫をした。バナーサイズも60×180でちょうど良い感じだった。授業自体かなり楽しいものだったしバナーづくりも楽しくできたのでよかった。 説明: 説明: http://www.kageto.net/jph/wp-content/uploads/2011/02/CIMG2155-300x225.jpg

 

ハウス オブ ジョイへ

House of joyへ行くまでの車内では、烏山さんから車窓から見えるバナナ園やHose of joyのお話を聞くことが出来た。

バナナ園で働く人の給料は220ペソ。

フィリピンはバナナ、マンゴーが主な輸出元。最近、今日のように季節外れの雨が多いが、バナナは年中収穫出来る。規格外で捨てられるバナナもある。バナナ園の広さは1000ヘクタール(東京ドーム250個分)。バナナ園を見学するつもりがインド人オーナーに変わり見学させることが出来なかった。しっかり電柱がありHouse of joyの電気代は月7000ペソ。

 

サンイシドロ高校   2月18日

 

 

創立記念日と云うことで、歩いて10分のサンイシドロ高校に招待された。挨拶のあと、これまでの支援に対しての感謝状が烏山さん、影戸先生に渡された。

大々的なパレードがあるが、自転車がバイクが式の最中に運動場を横切り、どこかのどかだ。

 


おお!!レチョン 食べると云うこと    219()

 

文責:鶴田

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Ø  レチョン(豚の丸焼き)

Ø  ウラワビーチ

Ø  バイバイバトバト

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日程

6:00 朝食

7:00 レチョン

9:40 ウラワビーチ

14:30 帰宅

15:00 バイバイバトバト見学

17:00 夕食 

18:00 上映会(天空の城ラピュタ)

20:00 子供たちと過ごす

21:00 子供たち就寝 解散

 

レチョン(豚の丸焼き)

フィリピンではお客をもてなす際に必ず豚の丸焼きが登場してくる。今日も私たちや摂南大学の参加者のためにレチョンを準備してくださった。前日に買ってきた子ブタを朝早くから職人さんを呼び、殺した。日本では殺す過程は見ることなく、加工された状態でしか見ない。今回は生きている豚を目の前で殺すところから見た。なかなか経験できないことである。今まで聞いたことのない悲鳴をあげていたり、内臓を綺麗に取りだしていたり、とても衝撃的なものだった。しかし、私たちが生き物の命を食べて生きているんだという実感がものすごく湧き、感謝の気持ちを忘れてはいけないと強く思った。

 

ウラワビーチ

House of Joyは、ウラワビーチという綺麗な海岸のあるビーチを所有している。車で15分程でつき、ご飯を食べたりする小屋や、お昼寝出来る高床式の建物などがありとても素敵なところだった。着いたらまず子供たちはビーチの掃除をした。その後、バレーコートを立ててバレーボールをしたり、サッカーをしたり、小さい子たちは海岸で遊んだり、各々の時間を過ごしていた。お昼にはビーチで焼いていたレチョンや持ってきた料理をみんなで食べた。昼食後小さい子はお昼寝をしたり、しんさんの楽器を挑戦してみたりと、ゆっくりした時間を過ごした。

 

バイバイバトバト

車で10分ほど行ったところに、バイバイバトバトという村がある。大体400人の人が暮らしており、主な産業は漁業である。電気はほとんど通ってなく何軒かに一軒通っている程度だそうだ。一族で住んでいる家庭がほとんどで大家族だ。経済的に厳しく、村人のほとんどが海で取れた貝を売ったり、大工やジプニーなどの運転手などをして生活している。しかし、貝は毎日30p売れるのがやっとで家族が多い家庭ではとても足りない。ナマコが名産のこの村では、時々買い付けに来ることもあるという。主食はトウモロコシをすり潰したお米だが、満腹感はないという。水は村に共同の井戸がありそこを使っている。海辺では、マングローブが植えられていた跡があった。マングローブがあると水が豊かになり、魚が増え、生活も豊かになりやすい。経済的に貧しいといっても村の人はとても明るく、とてもフレンドリーに私たちを迎えてくれた。また,この村にはシャロームハウスというHouse of Joyのゲストハウスがある。このゲストハウスを建てる時バイバイバトバトの人が活躍したそうだ。また、カシンカシンという支援制度がある。学校行けていても、ユニフォームや用具を買うお金がなく通えなくなってしまう子供を支援する制度である。現在100人ほどの子供たちが支援されているという。バイバイバトバとでもこの支援を使って学校に通っていた女性がいた。彼女は24歳で立派な母親になっていた。

バイバイバトバトは経済的に厳しいということは十分分かった。しかし、みんな家族を大事にしみんなで協力して生きていた。笑顔が溢れ、無邪気な子供たちが沢山いた。確かに経済的には貧しいが、それが貧困に繋がっているとは考えにくかった。何が貧困なのか疑問に思うことばかりだった。


 

食事を作る 20日

文責:矢田 鶴田

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Ø  ミサ

Ø  ハウスオブジョイの設立

Ø  カレーの買い出し

Ø  学習ノート

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6:00 朝食

7:00 ミサ(教会)

8:00 烏山さんのお話

9:00 カレーの買い出し

10:00 カレー作り

11:00 昼食

12:00 学習ノート作り、自由時間

18:00 夕飯

19:00 Farewell Party

ミサ

House of Joyのすぐ横には教会があり、全員で日曜日のミサに参加した。教会へ行く時はみんな普段よりきれいな服を着て行く。子どもたちも普段よりおめかししていた。ミサでは一部のHOJの子どもたちもミサ用の服を着て十字架を持って歩いたりして活躍していた。

 

烏山さんのお話

教会から帰ると、烏山さんがHOJ設立に至るまでのことや人生の価値などについてお話してくださった。ずっと商社で働いていた烏山さんは中国で死刑執行されたフィリピン人の遺体を引き取ったことをきっかけに養護施設を始めることを決断される。そう決断されてからの苦労は私たちには想像すらつかないものだろう。人間が生きているのは誰かのために一生懸命つくして幸せを感じることだと気付けたからこそどんな苦労があってもHOJをあきらめなかったのだと私は感じた。実際にHOJの子どもたちと触れ合って、たくさんの笑顔、優しさ、強さを見て、この子たちにつくしてあげられたら幸せを感じることができるだろうと思った。今までも2回ほど烏山さんのお話はきいているが、今回、心に突き刺さった言葉は「人より深い悲しみを知っている子どもたちは強い」だ。子どもたちの笑顔は強さの証だと実感した。

 

 

カレーの買い出し

それから夕飯のカレーの材料の買い出しへ近くの市場まで行った。そんなに大きな市場ではなかったが、普段の生活で必要なものは一通りそろう。野菜、魚、肉、果物、他にもアクセサリー、DVDなどかなり種類も豊富だった。野菜の値段は少し高いようだった。野菜選びをしているときに、ずっと「Money, money」と手を出しながらついてくる女性がいて、改めて貧しい村だということを実感させられた。また、肉屋のおばさんはHOJも烏山さんのことも知っていた。やはり地域との関係を作ることは大切だと感じた。

帰ってさっそくカレー作りを開始。HOJのスタッフの方々が協力してくださったおかげで準備はあっという間だった。

学習ノート作り

この日はHOJではJapanese Dayということで、私たちがカレーを作っている間、摂南大学は日本のゲームを子どもたちに教えて楽しんでいた。その後、私たちは子どもたち一人一人にノートをあげた。日本で作ってきていた自分の写真のシールを貼り、メッセージを書いて渡してあげると喜んで、他の学生にもメッセージをもらいにいっていた。自分なりにシールを貼って飾ったり、日本語で名前を書いてもらったり、中にはもう一度メッセージを書いてほしいといって戻ってくる子もいた。あのノートで勉強して、時々みんなにもらったメッセージを見て私たちのことを思い出してくれたらうれしい。あのノートがみんなの宝物になってくれたらいいなと思う。

夕飯

それから夕飯の支度。カレーを私たちがよそってそれを子どもたちが運んで行く。本当にみんなしっかり手伝ってくれる。そして食べ始めるまでみんなで見ていた。「ラミ!(おいしい)」という声がきけて一安心。それから自分たちも夕飯。夕飯は私たちが作ったカレーとアイダさんが作ってくださった水餃子だった。

 

Farewell Party

食べ終えると、私たちのFarewell Partyがあった。子どもたちの歌とダンス、それから私たちからのあいさつ、アイダさんからの言葉。すごく短い間だったけど本当に楽しい、温かい、いろいろ考えさせられる時間を過ごした。この時大きい子たちと初めてちゃんと話した気がする。自分の家族のことを少し話してくれた。みんな兄弟が多いため、私が一人っ子だというと驚いていた。そうしたら、「HOJに来れば兄弟はたくさんいるし寂しくないからまた来てね」と言われて本当にうれしかった。

Farewell Partyの後は大人だけのプチ飲み会。次の日早いということもあって1時間程度だったが、初めて摂南大学の人たちともちゃんと話せた。これからも交流が続いていけばいいなと思いながら一日を終えた。

 

 


8 フィリピン研修 フィールドワークU  2011,2,11-21

                      国際福祉開発学部 影戸 誠

 

1996年インターネットの教育利用に関するプロジェクトでフィリピンを訪れた。その後Apecの教育利用の会合、マイクロソフトの会議など訪れることが多かった。

気さくで人なつっこいフィリピン人の性格は、「海外研修」という堅い響きを持つ学生のスタディーツアーには適した地域といえる。

次の様な目標をもって取り組ませた。

 

Ø  「支援」をキーワードに日本人が国内と連携した活動を学び、参加する

Ø  島、学校、擁護施設などそれぞれのマネジメントを学び、自分達の生活に「支援」を位置づける

Ø  人や地域に接し、意志を持って生きようとする人々と語り、「生きること」「生活すること」について自分の生活を振り返り、ビジョンを持つ。

Ø  ICTなどの機器を活用し、研修の意義を振り返ることができる様にデザインする。

Ø  仲閧ニ共に過ごし「配慮」「協力」によってよりいい時間を設計する。

 

 

今回訪問した地域は、数年に渡り開拓してきたフィールドである。

 

シリマン大学  ワールドユースミーティングへのイベントへ学生を招待し、国際福祉学部の学生の英語研修場所として計画している。今回はこの大学の独自プログラム・サービスラーニングへの参加について協議を行った。

 

・シキフォール島

 2007年、2008年と現地を訪れる。http://www.marmarine.jp/のオーナーは元日本人学校の教師、退職後この地に移り住み、学校のトイレ建設など多くのボランティア活動を継続。地域に根ざした活動を展開している。現地の校長、地域と関係を育てながら日本からの援助を得つつ活動を継続中。

 

・ミンダナオ国際大学

2007年頃より5回程度訪問。日本語教育ではフィリピン第一である。毎年日本語コンテストで優勝。2010年度はWYMにフランシンという学生を招待。この大学の日本語E-learningシステムの構築など支援している。2011年度のワールドユースミーティングにも学生を招待。日本語英語での交流を続け、こんかいも学生の授業ボランティアを実施させてもらった。

 

・ハウスオブジョイ http://hoj.jp

 1997年に、協力隊OBの烏山逸雄が設立した孤児院。フィリピンダバオ市郊外にある。ゼミ生達は衣服をおくったり、PCを組み立て送ったりしてきた。私自身もう5回程度訪問している。もっと多いかな?

日本語での会話が現地すタップと出来ること、こどもたちが明るく生活し、元気がもらえること、貧困、教育、国際協力などのキーワードがここにはある。学習フィールドの初期の段階の訪問先としては大変ありがたい場所である。

 

影戸 活動メモ

 

211日  名古屋からマニラへ

いま マニラのホテルにいる。

いつも泊まるマラテペンションに行くといっぱいである。

雪でおくれ、Dumagueteにマニラから飛べなかった。 6人分20000ペソがキャンセル、払い戻しはない。さらに30000ペソで12日の分を買い戻す。

このチケットが大変、到着場所からタクシーにのってCebu pacificのオフィスまではしる。長い列、座席は無いという、粘って 2グループに分かれてかろうじてゲット。

ホテルにつく、部屋が無い、近くを歩いて探る。

Rainbowホテル,Fully Bookedといわれる。 Pearl Garden 同じく満室。

やっとの事でここRothホテルに、一部屋33000ペソである。

そのごロビンソンデパートでみんなで食事、やっと息がつける。

いま あさの3時過ぎ、空港5時到着をめざす。

今日はフィリピン組など大学研修旅行の出発である。雪で大幅に遅れないことをねがう。

 

212日 シキフォール島へ

あさ バレンタインデーのギリチョコをもらう。うれしい。

学生達を空港まで送る。チェックインをさせ、Dumagueteでの出迎えを手配する。これでシキフォール島まで行けるだろう。私だけは午後のチケット。シリマン大学のマークさんに連絡。午後打ち合わせることとする。

ここはフィリピンから飛行機で1時間 やっとシリマン大学のあるこの地につく

此方での研修について話をする。 ICUや台湾、アメリカの学校との交流があり、海外学生の研修がしっかりしている。何よりも海がきれいだ。街もきれい。

アポ島は世界的に有名な珊瑚礁のキレイなところ。

シリマン大学が車をだしてくれて、あちこち連れて行ってくれる。

 

学生達のチケットと夕方のチケットをとって、打合せ。英語研修のプログラムについて。フィリピン大学のKen教授も同席。 夕方、船でシキフォール島へ。

 

213日 ボランティア活動

 トイレ建設の現場を見る。ライオンズクラブ、地域の学校、組織が支援している。小学校、中学校など。珊瑚で出来たこの島のあちこちの掘削を見る。植木用の土として利用しているらしい。ただほるだけ。あちこちで崩れている。

現地小学校を訪問。この国はどんなに離れたところでも、学校と、教員がいる。教育を大切にしている事がよく分かる。その後学生と海へ。

 夜、小学校、高校の先生にインタビュー。英語でのやりとりは、学生には少々きつかったかも。教育改革の方向についてお話を聞く。現在の小学校6年、中高校4年を6,3,3に変えようとしている。#2011年現在 小学校6年、中学高校5年と変わった様だ。

 

214日  イババオ小学校へ

バナー作りと交流。日本から持ち込んだバナーに色を塗る。具体的な作業が分かり、共に作った喜びがある。さらに「成果物」も残る。このような活動が交流する時間を支える。

午前中日本から持ち込んだバナーに子供たちと一緒に色を塗る。昨夜はインタビューの為に校長がホテルまでやってきてくれた。この国では大きな改革を迎えるそうだ。

来年にはセカンダリー(中学高校)が4年から、6年制に移行するという。

先生の給料は大幅にあがり、14000円から20000円程度 校長で30000円。

今日は朝から彼の待つ小学校へ

バナーの色を塗る。説明: http://www.kageto.net/wp/wp-content/uploads/2011/02/1-iba-300x168.jpg

協働作業のなかで英語の使い方を学生たちは学ぶ。笑顔で子供の名前を呼びながら進める。

説明: http://www.kageto.net/wp/wp-content/uploads/2011/02/IMGA0086-300x168.jpg

バナー作りはステキだ、協働が形となり、作業を共にする中で打ち解けることができる。

この後長縄とび、おにごっこ、お菓子配りと80名の全校生徒と時間を過ごす。

 

その後急ぎ、シリマン大学のサービスラーニングセンターへ。2時間近くそのデザインを学習する。

 

2月15日 ダバオ到着後 Mindanao Kokusai Daigaku 

学長に挨拶の後、生徒と一緒に日本語クラスへ。3年生の授業だレベルが高い。

スキット作成をしている。クラスへの転校生に対するいじめがテーマだ。

「あのこ外国人だ」「なんかいやだ」といった台詞がたくさん出てくる。

スキットの中の「助詞」の使い方など、学生たちと検討を加え訂正して完成させた。

その後 一緒に前に出て劇をする。 何か協働でやると心も和む。

その後、スタジオへ

このMKDFM放送を行っている。

毎日10時から45分番組だ。それで1ヶ月3万円の放映料とは安い。

インタビューや、日本語の読み聞かせなどお手伝いすることとなった。

一緒に、アンジェラ・アキの「手紙」の英語訳と、一緒に歌うことに挑戦した。楽しいひとときだった。音楽が間に入ると心も打ち解ける。彼女たちの日本語も前進する。学びに対する気持ちが強いのだろう、「今の言葉は何ですか?」など質問してくる。大切と重要の違いなど。

そのうちYoutubeに上げようと思う。しかし、動画が簡単にあげる事ができるほど、モバイルUSBネットワークは速くはない。

説明: http://www.kageto.net/wp/wp-content/uploads/2011/02/CIMG1923-300x225.jpg

夜、食事会

MKDの学生たちと一緒に夜食事をする。歩いてすぐのレストラン。

MKDの三宅さんや長谷川さん、HOJの澤村さんも来てくれる。食事をしながら、海外での日本人教師の役割、願いを聞く。

「君の夢はなんだ?」少々お酒の入った日本人教師たちに問われ学生たちは言葉につまる。

二次会まで全員で付き合いその後、ホテルへ

フィリピンの日系人

戦後、配線のあおりを受けて、ダバオでマニラ麻の生産などのよって冨を築いていた日本人は財産を没収され、立場が逆転した。ここダバオの日系人は体験を共有しつつ現在に至っている。

日本の法律の改正(移民法1997年 要調査)によって、日本人国籍、あるいは日系人(親戚などを含む)は日本での就労が許可される様になった。その関係で「日系人」であること「日本での労働」、収入源の確保という図式が成立している。

Sさんという学生が居た。17才という。両親が日本で働き、自分はこの大学に来ているという。日本の大学は高いのでとてもという。MKDで年間の学費は6万円、公立だと2万程度だ。日本からの仕送りでフィリピンでは充分に大学に行ける。

日系人であることは「生活」に強烈に結びつく。なぜか 良かったとおもった。法律の大きさを感じる。

学生の指導 よるの食事の後

問題点  烏山さん(HOJ創設者)との食事、せっかくの機会だから多くの情報を得てほしいと質問をするが、食事や、友人との会話に流れてしまっている。

対処法  この残念な状況を改善してほしい、話し合ってほしいと呼びかける。

できのいい学生たちである。「機会を活かす」ことに集中すると態度をかえる。

叱るのではなく、問題を解説し(分かるように解説)自分たちで方法を考えさせること。 考える機会を与えることは大切だとおもった。改善力は此方ではなく、学習者の側にある。

問題点 コミュニケーションのデザイン

情報収集に当たって、彼らにはマインドセットを持ってしまっている。「さあ 今から聞くんですよ」という号令でスイッチがはいる。メモもとる。

しかし、今回の様な研修旅行中では、機会をみつけて、車の中や、食事中に人の質問や、自分から質問を発することによって、情報を得て、即座に再構築して、メモをとるという作業が必要である。0はいくら積み重ねても0である。後で読んで分かるようなメモを積んでいく。そのような受信が今回のテーマの一つである。 その点 役割を決めて、毎日の活動記録だけは取っている。

Dumagueteやっと着く

 

216日 タリコット島へ

里子のグレースとMKDの友人4名、そして学生達と珊瑚礁の美しい、「タリコット島」へ

数名は体験ダイブを楽しむ。

説明: 1DSC_0004 (2).JPG

 

2月17日 MKDで1年生のクラスに入り一緒に学習。

http://www.kageto.jp/pic28/ph1.html

説明: 1CIMG2123.JPG

摂南大学の学生さん達と会う。

その後House of Joyへ移動。

よる歓迎会。

2月18日 サンイシドロ高校

 

サンイシドロ高校に招待され、これまでのICT支援に対して表彰状を受ける。

高校が設立記念集会を開いるので招待してくれた。45周年だ。学生とともにひな壇に上げてくれる。校庭ではマーチングバンドが頑張っている。1997年設立の大集団(100名程度)だ。バトントワラーとマーチングバンド、コンビネーションもいい。

来賓の挨拶が20分、そして、余興(学生のダンスなど)そして挨拶と2時間延々と式典が続く。

 

説明: 1IMGA0008.JPG

学生たちも落ち着いてきた。行動も先を読みながら、動くようになった。

朝食後、ルポンという町に出かける。鰹の切り身、200グアムくらい、100ペソ。

新鮮な魚がある。 携帯電話を買う、700ペソ

Welcome Party

日本福祉大学と摂南大学両方を迎える会が開かれた。挨拶、簡単な出し物。学生たちは「幸せなら手をたたこう」を英語で展開した。全体で輪になり、歌いおわった。全体参加型の規格を考えてくれた。人数、子供たちの英語能力、場所、を考えたいい企画だった。

摂南大学は剣玉妙技披露、ストッキング被りゲーム。

夜ミーティング

どうしてあんなにうまく小さなこどもたちに役割を与えることが出来るのだろうとおもう。小さいながらも責任感をもって役割を果たしている。

こどもたちの中にコミュニティーができあがっている。

誰が指導しているのか、マネジメントの一つとして聞いてみたい。

 


 

219日(土) バイバイバトバト村調査

400名が暮らすこの村をHouse of Joyの主宰者であるアイダさんの案内で動く。アイダさんはこの地域のこどもたちに日本から送られた毎年100万円近い奨学金の管理を行っている。この地域との付き合いも30年以上になるという。気さくに村人と話しながら、案内してくれる。

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「家族がいるのはいいね」 確かに、粗末な小屋は穴が空き、外からも中が見えてしまうが、家族が寄り添い、語り合っている。

フィリピンの貧困は、働かないから貧困ではなく、働いても給料が安く、生活が苦しいのだ。

漁村であるこの村は朝34時に漁にでかけ、市場に魚や、貝類を出して生計を立てている,

海辺ではこども数人がたちが、4時間かけて集めたツブ貝のこびりついた石をたたき落としながら、市場用に加工している。バケツいっぱい程度あっただろうか、それが50ペソ(100円)という。

この村を学生たちと歩いた。子どもに英語で話しかけたり、アイダさんにビサヤ語の通訳をお願いしながら、調査を進める。「何年生?」「学校は行っているの?」

働いていても貧しい。

どうするのか、キーワードとしては「教育」「経済」「ライフライン」いくつものキーワードが浮かぶ。

貧しさから米も買えず、(米はキロ25ペソ程度、50円)トウモロコシの粉を練ったものを食べている。それと海草。

日本から米を買うお金を募金で集め送る。幼稚園などの活動をNGOで行い、衛生教育、修学前教育を行う、あいるはJICAのプロジェクトを持ってきて、植林、あるいは職業訓練の施設を作り・・・・・いろんなアイデアが浮かぶ。

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学生として実現できそうなこと、社会人として実現出来そうなこと、それらを考え適切なデザインを行うためにこの地に来ている。

荷物を送る、募金をする、そういったことが根本的な解決にはならないが、それらを実行しながら、世界と共に生きる自分の生活を築いてほしい。

 


 

レチョンを焼く ビーチへ

 

フィリピンダバオ市の友人烏山さんの経営する、養護施設、{house of Joy]のこどもたちの海に行くこととなった。海岸でレチョンをやいてくれるという。前日より、施設の庭にはかわいい子豚がつながれている。

説明: http://www.kageto.net/wp/wp-content/uploads/2011/02/CIMG2590-300x225.jpg説明: http://www.kageto.net/wp/wp-content/uploads/2011/02/CIMG26371-300x225.jpg

必殺仕事人が朝やってきて、目の前でしめて、料理をしていく、可愛く愛嬌よく泣いているところから、しめて、皮をはぎ、内蔵を取り出す。

そして、鉄串に通して焼く。さっぱりとした、「食べる」行為を体験した。

焼くのはこどもたちと共にビーチで、ぱりぱりのレチョンをおいしくいただいた。

説明: http://www.kageto.net/wp/wp-content/uploads/2011/02/CIMG2648-300x225.jpg説明: http://www.kageto.net/wp/wp-content/uploads/2011/02/CIMG2664-300x225.jpg

 


 

20日 学習ノート作り

 

一人一人にメッセージを書きノートを渡していく。

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日本語で、「げんきでね」英語で[Keep in touch, I will never forget you]など

こどもたちはノートをもってみんなにメッセージをもらいにいく。

表紙には、学生のシールが貼ってある。わたしも全員にシールを貼った。

説明: 1IMGA0072.JPG

バナー作りも行った。

 

21日 朝ダバオへ移動

 マニラを経て、名古屋へ

 水、電気など不便なところもあったけど、心が満たされた いい旅だった。

 学生達の前に進もうとする「気持ち」が何よりもうれしかった。